🌱はじめに
イエス様の歩まれた最後の週――受難週の火曜日、エルサレムの神殿の境内には、緊張感が漂っていました。宗教指導者たちが次々とやって来ては、イエス様に問いかけ、試そうとしていました。その中で、イエス様は民の前に立ち、律法学者とパリサイ人の偽善について語られました。厳しい言葉の背後には、神の民への深い愛と、悔い改めへの招きが込められています。今回は、そのメッセージに心を静めて耳を傾けてみましょう。
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前回の記事「イエスと宗教指導者たちとの対話」はこちらからご覧いただけます
📝この記事を読むとわかること
- マタイ23章の背景と流れ
- 律法学者とパリサイ人への7つの「わざわい」
- エルサレムへのイエスの嘆きの意味
- 偽善に対するイエスのまなざし
- 私たちに与えられる悔い改めの招き
📖 この箇所の文脈|イエスの知恵と対話の一日
受難週の火曜日――この日はイエス様が神殿で教えられ、多くの宗教指導者たちとの対話が繰り広げられました。
最初にパリサイ人たちがやって来て、「カイザルに納税するのは正しいか」と問います(マタイ22:15–22)。次にサドカイ人たちが復活について問いかけ(22:23–33)、さらに律法の中で一番大切な戒めは何かと律法学者が質問します(22:34–40)。これらに答えた後、イエス様は「キリストは誰の子か」と問い返し、人々の前で宗教指導者たちの本質をあらわにされました。
そしてマタイ23章に入り、イエス様は弟子たちと群衆に向けて、律法学者とパリサイ人の偽善を厳しく指摘されます。これは単なる批判ではなく、神の義と真実への招きの言葉でもありました。
🖼️ 原画:『律法学者、パリサイ人のわざわい』(らけるま作)



🪷やさしい解説:受難週の火曜日
イエス様はこの日、神殿で教え、人々の問いに答えました。すべてのやりとりの最後に語られたのが、この「わざわい」の言葉です。
イエス様のことばには、厳しさと同時に、深い愛と真実があります。
この箇所では「わざわいだ」という言葉が繰り返されますが、それは怒りからではなく、偽りの道に進む人々への痛みと、立ち返るようにとの切なる願いが込められています。
「律法学者、パリサイ人のわざわい」マタイ23:1–36
イエス様は、律法学者とパリサイ人の言動の矛盾を示し、「人に見せるための信仰」の危うさを語られます。彼らは正しい教えを語っていても、それを実行せず、人には重荷を負わせ、自分では指一本動かそうとしません(23:4)。また、見せかけの敬虔さや地位への欲求を非難されています(23:5–7)。
「わざわいだ」という呼びかけは7回繰り返され(23:13–29)、そのたびに偽善、貪欲、形式主義を指摘し、神の御心から離れた姿があらわにされます。
「エルサレムについてのなげき」マタイ23:37–39
イエス様の言葉は、エルサレムへの深い愛に満ちています。何度も悔い改めに招いたにも関わらず、民は預言者たちを退け、石打ちにし、最後には神の御子さえも拒みます。
「あなたの子らを集めようとしたのに、あなたは応じようとしなかった」――この言葉には、どれほど深い悲しみが込められていることでしょうか。イエス様の涙が、読む私たちの心にも静かに届きます。
そして39節、「主の御名によってきたる者に、祝福あれ」とおまえたちが言う時までは、再び会うことはない――この言葉は、将来のイエス様の再臨に関わる重要な預言とも受け取られています。
ヨハネの黙示録に記されているイエスの地上再臨は、ユダヤの民がこの悔い改めの告白をし、メシアとしてイエスを受け入れることが条件であると多くの解釈者が理解しています。
イエス様はなおも、御民の悔い改めと回復を待ち望んでおられるのです。
🌼こどもたちへのメッセージ
イエスさまは、うわべだけでよく見せようとすることよりも、ほんとうの心が大切だと教えてくれました。
やさしくすること、正しいことをすることは、ときどむずかしいけれど、イエスさまはわたしたちの心をよく見て、いつも助けてくれます。
🎚️ 弟子の告白
主イエスさま、わたしは律法学者やパリサイ人のように、うわべだけの信仰にとどまってしまうことがあります。
けれど、あなたのまなざしがわたしの内側を照らし、本当に従いたいという願いを起こしてくださることに、希望を見出します。
偽りから離れて、御国の真理に生きる弟子として歩めますように。
🖼 原画アイキャッチ情報
【代替テキスト】
「律法学者、パリサイ人たちが群衆の中で整然と並ぶ姿。イエスがその前に立ち、厳しさと愛を込めて語りかけている様子が描かれている。」
【キャプション】
見せかけの信仰ではなく、真実とへりくだりを求める主のことばが、心に深く響きます。
📌原画には、パブリックドメイン口語訳が含まれています。
https://j-bible.jimdofree.com/
🎨 らけるまの創作メモ|「見えないところを描こうとした日」
この原画を描いた日、わたしの心にあったのは「見えるもの」と「見えないもの」の違いでした。
人は外側を見ますが、主は心をご覧になります。
白く塗られた墓のように、きれいに見えても、中には骨がある。
そんな聖句に触れながら、静かに紙に色を重ねました。
偽りの中にいても、神さまのまなざしが私たちを照らし、悔い改めへと導いてくださる――その希望を、色に込めました。
📝この記事のまとめ
- 受難週の火曜日、イエスは神殿で教え、宗教指導者たちと対話された
- マタイ23章は、律法学者とパリサイ人への厳しいことばと、悔い改めの招き
- 偽善的な信仰の危うさと、主の真実なまなざし
- 最後はエルサレムへの愛と涙に満ちた嘆き
- 私たちも主の前に心を開き、従う者として歩むよう招かれている
🕊️ 結びの祈り
主よ、あなたの語られたことばは、わたしの心を照らします。
偽りやうわべに傾きがちなわたしを憐れみ、ほんとうのへりくだりへと導いてください。
エルサレムを思い涙されたイエス様のように、愛をもって歩む者としてください。
この記事を読んでいるすべての方の心にも、あなたの真理と平和が届きますように。
アーメン。
🔔 次回の予告
次回は、「やもめの献金」マルコの福音書12章41-44節をご一緒に見つめていきます。神さまへのまごころのささげものとは――。
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