🌱はじめに
イエスさまが舟の上から語られた、たとえ話のはじまり。
その第一声は、まるで御言葉そのものが、読者の心にそっとまかれるような瞬間でした。
「種をまく人が種まきに出て行った……」
それは、イエスさまが語られた「天の御国」の秘密の扉が開かれる、やさしく力強いたとえです。
この記事では、マタイ13章1~23節を全文掲載しながら、「種まきのたとえ」をていねいに味わいます。
あなたの心の地面は、今どんな状態でしょうか?
✨ イエスさまの足跡をたどる旅へ ✨
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前回の記事「イエスが語られた「ほんとうの家族」」はこちらからご覧いただけます
📝この記事を読むとわかること
- マタイ13:1–23のたとえ話とその解説を全文で読める
- 種がまかれる「4つの地面」が示す心の状態とは
- 御言葉を受け取る姿勢についてのやさしい解説
🎚️ 信仰のことば
「聞く耳のある者は聞きなさい。」(マタイ13:9)
。
🖼 原画:『舟の上の語り』(らけるま作)

📖 聖書本文(口語訳)マタイ13:1–23
※この聖句はパブリックドメインの口語訳聖書を引用しています。
種が蒔かれた地面のたとえ(マタイ13:1–9)
1.その日、イエスは家を出て、海べにすわっておられた。
2.ところが、大ぜいの群衆がみもとに集まったので、イエスは舟に乗ってすわられ、群衆はみな岸に立っていた。
3.イエスは譬で多くの事を語り、こう言われた、「見よ、種まきが種をまきに出て行った。
4.まいているうちに、道ばたに落ちた種があった。すると、鳥がきて食べてしまった。
5.ほかの種は土の薄い石地に落ちた。そこは土が深くないので、すぐ芽を出したが、
6.日が上ると焼けて、根がないために枯れてしまった。
7.ほかの種はいばらの地に落ちた。すると、いばらが伸びて、ふさいでしまった。
8.ほかの種は良い地に落ちて実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。
9.耳のある者は聞くがよい」。
🌱「種が蒔かれた地面のたとえ」のやさしい解説
イエスさまが舟の上に座り、岸に立つ群衆に語りかけた最初のたとえです。
語られたのは、「種をまく人」の話。けれど、それは単なる農作業の話ではなく、神のことばが人の心にまかれる様子を表しています。
種はすべて同じ。でも、それが落ちた場所――人の心の状態によって、その結果は大きく変わります。
- 道ばた:聞いたことばがすぐに奪われてしまう
- 石地:すぐには喜ぶが、根がなく枯れてしまう
- いばら:心配や欲がことばをふさいでしまう
- 良い地:御言葉を聞いて悟り、実を結ぶ心
イエスさまは、私たちに問いかけておられます。
あなたの心は、今どんな地面ですか?
そして、「聞く耳のある者は聞きなさい」と、やさしくも力強く招いておられるのです。
たとえで話す目的(マタイ13:10–17)
10.それから、弟子たちがイエスに近寄ってきて言った、「なぜ、彼らに譬でお話しになるのですか」。
11.そこでイエスは答えて言われた、「あなたがたには、天国の奥義を知ることが許されているが、彼らには許されていない。
12.おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう。
13.だから、彼らには譬で語るのである。それは彼らが、見ても見ず、聞いても聞かず、また悟らないからである。
14.こうしてイザヤの言った預言が、彼らの上に成就したのである。『あなたがたは聞くには聞くが、決して悟らない。見るには見るが、決して認めない。
15.この民の心は鈍くなり、その耳は聞えにくく、その目は閉じている。それは、彼らが目で見ず、耳で聞かず、心で悟らず、悔い改めていやされることがないためである』。
16.しかし、あなたがたの目は見ており、耳は聞いているから、さいわいである。
17.あなたがたによく言っておく。多くの預言者や義人は、あなたがたの見ていることを見ようと熱心に願ったが、見ることができず、またあなたがたの聞いていることを聞こうとしたが、聞けなかったのである。
🔍「たとえで話す目的」のやさしい解説
弟子たちが尋ねました――「なぜたとえで話されるのですか?」
イエスさまは、それに答えてこう言われました。
「天の御国の奥義を知ることが許されている者」と「そうでない者」との違いがあると。
これは選ばれた人だけが理解できる、という意味ではありません。
むしろ、「聞こうとする心があるかどうか」が問われているのです。
心が閉ざされ、悟ろうとしない者には、たとえ話もただの物語にしか聞こえません。
けれど、イエスを信じ、求める者には、そのたとえの中に天の御国の深い真理が開かれていくのです。
「あなたがたの目は見ており、耳は聞いているから、さいわいである」――
この言葉は、今このときを生きる私たちにも、深い慰めと励ましを与えてくれます。
種が蒔かれた地面のたとえの説明(マタイ13:18–23)
18.そこで、種まきの譬を聞きなさい。
19.だれでも御国の言を聞いて悟らないならば、悪い者がきて、その人の心にまかれたものを奪いとって行く。道ばたにまかれたものというのは、そういう人のことである。
20.石地にまかれたものというのは、御言を聞くと、すぐに喜んで受ける人のことである。
21.その中に根がないので、しばらく続くだけであって、御言のために困難や迫害が起ってくると、すぐつまずいてしまう。
22.また、いばらの中にまかれたものとは、御言を聞くが、世の心づかいと富の惑わしとが御言をふさぐので、実を結ばなくなる人のことである。
23.また、良い地にまかれたものとは、御言を聞いて悟る人のことであって、そういう人が実を結び、百倍、あるいは六十倍、あるいは三十倍にもなるのである」。
🌾「種が蒔かれた地面のたとえの説明」のやさしい解説
ここでは、イエスさまご自身が、先ほどのたとえの意味を一つひとつ解き明かしてくださいます。
それぞれの地面は、神の言葉を聞く人の心の状態です。
- 道ばた:聞いても悟らず、サタンに奪われてしまう心。御言葉がとどまらない。
- 石地:一時的な喜びで終わり、試練にあうとつまずいてしまう心。
- いばら:心配や富への執着がことばをふさいでしまう心。
- 良い地:御言葉を聞いて悟り、それを実行して実を結ぶ心。
イエスさまは、単に「正しい人と間違った人」を分けて語っているのではありません。
むしろ、だれの心も変えられる可能性がある――
そのことを、やさしく語りかけてくださっています。
わたしたちの心も、イエスさまによって耕され、やわらかくされ、
御言葉が根を張り、実を結ぶ「よい地」とされていくのです🍃
🌼こどもたちへのメッセージ
イエスさまは、わたしたちのこころにたねをまいてくれるよ。
やさしいことば、ゆるすこころ、おいのりしたいきもち……
それをたいせつにすると、しずかに、きれいなおはながさくんだよ。
🖼 原画アイキャッチ情報
【代替テキスト】
イエスが舟の上で群衆に語りかける場面。弟子たちがそばに座り、岸辺には多くの人が集まっている。
【キャプション】
「種まく人が出て行った」――舟の上から語られるイエスの声は、今もわたしたちの心に種をまいてくださいます。
🎨らけるまの創作メモ|「種まきを語るイエス」を描こうとした日
舟の上のイエスさまを描きながら、「種まき」という行為の尊さを感じていました。
ことばは目に見えないけれど、人の心にふれる力を持っています。
だれかの心に、静かにまかれるその時を、イエスさまはどんなまなざしで見ておられたでしょうか。
この絵を通して、御言葉を受け取るやわらかな心が育まれますように。
📝この記事のまとめ
- 種まきのたとえは、御言葉と心の状態を表している
- 4つの地面は、私たちの信仰の姿勢を映すもの
- イエスの声は、今も心にやさしく語りかけている
🕊️ 結びの祈り
主よ、
あなたが舟の上から語られた御言葉を、今日も私の心にまいてください。
この心がかたくなにならず、やさしく、深く、あなたのことばを受け取る場所となりますように。
そして、その実が人に分け与えられる祝福となりますように。
アーメン。
🔔 次回の予告
次回は「毒麦のたとえ・からし種のたとえ・パン種のたとえ」(マタイ13:24-43)――善と悪がともに育つこの世で、わたしたちはどのように生きるべきかを見つめていきます。
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きっと、あなたの今の歩みに寄り添う光が見つかりますように――
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