🌱はじめに
イエスさまは、山の上で静かに人々に語りはじめました。
そのおことばには、怒りに満ちた世界にあっても、心の中に平和を育むようにという深い導きが込められています。
「怒り」をどう扱うか――それは、私たちの信仰生活にとっても大切なテーマです。
この記事では、イエスさまの教えから「和解」と「赦し」について、やさしく心に届ける形でふれていきます。
📝この記事を読むとわかること
- 山上の説教の中で語られた「怒り」についての教え
- イエスさまが示した和解の大切さ
- 現代の私たちにも届く、心を静める信仰の視点
🖼️ 原画:『山上で教え始める(山上の説教)』(らけるま作)
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🪷やさしい解説
「昔の人々に『殺すな』と命じられてきたのを、あなたがたも聞いています」と語られたイエスさまは、表面的な行いを超えて、心の中にある怒りそのものに目を向けるよう教えられました。
兄弟姉妹に対して怒ること、悪口を言うこと、それらもまた、神さまの前に問われるのです。
けれども、そこで終わらせず、イエスさまは私たちに「和解」を勧めてくださいました。
「まず行って、その兄弟と仲直りをしなさい」――このおことばには、私たちの人間関係と信仰が、深く結びついていることが示されています。
神さまへの礼拝の前に、まず互いを大切にすること。それが、ほんとうの意味での「信仰のかたち」なのかもしれません。
🌼 こどもたちへ
だれかにイヤなことをされて、すごくおこったことあるかな?
その気もち、わるいことじゃないよ。イエスさまも、きっとわかってくれる。
でもね、ずっとおこっていると、こころがチクチクしてつらくなるよね。
そんなとき、「イエスさま、ぼくのこころ、やさしくしてください」っておいのりしてみてね。
きっと、こころの中にそっと光がともるよ。
🎚️ 信仰のことば
「兄弟に対して怒る者は、誰でも裁きを受けなければならない。」
――マタイによる福音書 5章22節(口語訳)
怒りのままに生きるのではなく、愛と赦しに生きる道を、イエスさまはそっと示してくださっています。
🖼 原画アイキャッチ情報
【代替テキスト】
山の上で語るイエスと、心静かに耳を傾ける人々の群れ。怒りと和解について教える場面(マタイ5章)
【キャプション】
イエスさまは、山の上で人々に語られました――怒りの心を手放し、兄弟姉妹と和解することの大切さ。心の内から平和を築く教えが、そっと私たちに届いてきます。
📌原画には、パブリックドメイン口語訳入っています。
🎨 らけるまの創作メモ|怒りと和解を描こうとした日
この原画を描いた日、私は心の中に引っかかっていた小さな怒りを見つめていました。
イエスさまが語られた「まず行って、その兄弟と仲直りをしなさい」というおことばが、じんわりと胸に広がって、筆をとりました。
人々がイエスさまを囲み、目と耳を澄ませている姿は、わたしたち一人ひとりの姿でもあります。
「赦すことがむずかしい日もあるけれど、それでも和解を願って生きていたい」――そんな祈りを込めて描きました。
📝この記事のまとめ
- 山上の説教では、行動だけでなく心の状態が問われている
- 怒りを抱えたままではなく、まず和解を求めることが大切
- 信仰と人との関係は深くつながっており、赦しの実践が神への礼拝となる
- イエスさまの教えは、今日の私たちの心にも平和を呼びかけている
🕊️ 結びの祈り
主イエスさま、
わたしたちの心にある怒りや、赦せない思いを、あなたの御前にそっと差し出します。
もし、あなたの教えを知らなかったなら、
わたしたちは一生、怒りと憎しみに心を奪われていたかもしれません。
でも、あなたは語ってくださいました――
「まず行って、和解しなさい」と。
どうかこの記事を読んでくださる方にも、
怒りからの解放と、心の平安が注がれますように。
許せないままでいた日々を、あなたの愛の中で包み、癒してください。
あなたの教えに導かれながら、
今日という一日を、和解と平和の歩みとして歩むことができますように。
主イエス・キリストのお名前によって祈ります。
アーメン。
イエスさまの御業やことばを、心静かにたどってみたい方へ。
テーマごとにまとめたカテゴリをご案内します。
きっと、あなたの今の歩みに寄り添う光が見つかりますように――
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