🌱はじめに
十字架に向かう道の途中、イエス様は弟子たちと静かに歩みながら、最後の教えを語られました。ぶどうの木のたとえ、互いに愛し合うことの命令、そして世の憎しみに耐える勇気――それは、主の愛がどれほど深く、永遠に続くものであるかを私たちに示しています。
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前回の記事「二階部屋での説教」はこちらからご覧いただけます
📝この記事を読むとわかること
- ヨハネ15〜16章の全体的な流れ
- 「ぶどうの木と枝」のたとえの意味
- 迫害にどう向き合うかというイエス様の励まし
- 聖霊の働きと約束
📖 この箇所の文脈|ゲッセマネへの道すがら
前回は主の晩餐の後に、2階部屋で語られたイエス様のやさしい励ましを見てきました。今日の箇所では、彼らがその部屋を出て、ゲッセマネの園へ向かう途中で語られた教えに耳を傾けます。月明かりのもと、弟子たちはイエス様とともに歩きながら、主の最後の言葉を心に刻んでいったのです。
🖼️ 原画:『ゲッセマネ途上での説教』(らけるま作)

🪷やさしい解説
ヨハネの福音書15章1節から16章33節は、イエス様が十字架にかかる直前に弟子たちに語った、非常に重要な「別れの教え」の一部です。
ここでは、信仰生活の核となる、いくつかの深くて実用的なテーマが展開されています。
※聖句はパブリックドメインの口語訳聖書を引用しています。
https://j-bible.jimdofree.com/
🍇 15章1-17節: ぶどうの木と枝 — キリストとの一体性
15:1 わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。
15:2 わたしにつながっている枝で実を結ばないものは、父がすべてこれをとりのぞき、実を結ぶものは、もっと豊かに実らせるために、手入れしてこれをきれいになさるのである。
15:3 あなたがたは、わたしが語った言葉によって既にきよくされている。
15:4 わたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない。
15:5 わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。
15:6 人がわたしにつながっていないならば、枝のように外に投げすてられて枯れる。人々はそれをかき集め、火に投げ入れて、焼いてしまうのである。
15:7 あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたにとどまっているならば、なんでも望むものを求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。
15:8 あなたがたが実を豊かに結び、そしてわたしの弟子となるならば、それによって、わたしの父は栄光をお受けになるであろう。
15:9 父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛したのである。わたしの愛のうちにいなさい。
15:10 もしわたしのいましめを守るならば、あなたがたはわたしの愛のうちにおるのである。それはわたしがわたしの父のいましめを守ったので、その愛のうちにおるのと同じである。
15:11 わたしがこれらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにも宿るため、また、あなたがたの喜びが満ちあふれるためである。
15:12 わたしのいましめは、これである。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。
15:13 人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。
15:14 あなたがたにわたしが命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。
15:15 わたしはもう、あなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人のしていることを知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼んだ。わたしの父から聞いたことを皆、あなたがたに知らせたからである。
15:16 あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そして、あなたがたを立てた。それは、あなたがたが行って実をむすび、その実がいつまでも残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものはなんでも、父が与えて下さるためである。
15:17 これらのことを命じるのは、あなたがたが互に愛し合うためである。
この章は、キリスト教の教えの中でも特に有名で美しい比喩で始まります。
- まことのぶどうの木と枝: イエス様はご自身を「まことのぶどうの木」、父なる神を「農夫」、弟子たち(信じる者)を「枝」に例えます。
- とどまること(留まること): 枝が木にとどまっていなければ実を結べないように、私たちもイエス様にとどまっていなければ、意味のある実を結ぶことはできません。
- 🔑 キーワード: 「とどまる」 (ギリシャ語: メノウ)。これは、単にいるだけでなく、継続的な関係を保ち、結びついていることを意味します。
- 実を結ぶこと: 実とは、神様の愛と御心にかなった行いであり、特に12節以降で命じられる「互いに愛し合う」ことです。
- 刈り込みと取り除くこと: 神様は、実を結ばせるために枝を刈り込み(剪定し)、実を結ばない枝は取り除きます。これは、私たちの人生における試練や訓練、あるいは偽りの信仰に対する裁きを指していると考えられます。
- 究極の愛: イエス様は「友のために自分の命を捨てる」という、これ以上ない愛の模範を示されました(13節)。そして、この愛を私たちにも命じています。
💔 15章18節-16章4節: 世からの憎しみと迫害
15:18 もしこの世があなたがたを憎むならば、あなたがたよりも先にわたしを憎んだことを、知っておくがよい。
15:19 もしあなたがたがこの世から出たものであったなら、この世は、あなたがたを自分のものとして愛したであろう。しかし、あなたがたはこの世のものではない。かえって、わたしがあなたがたをこの世から選び出したのである。だから、この世はあなたがたを憎むのである。
15:20 わたしがあなたがたに『僕はその主人にまさるものではない』と言ったことを、おぼえていなさい。もし人々がわたしを迫害したなら、あなたがたをも迫害するであろう。また、もし彼らがわたしの言葉を守っていたなら、あなたがたの言葉をも守るであろう。
15:21 彼らはわたしの名のゆえに、あなたがたに対してすべてそれらのことをするであろう。それは、わたしをつかわされたかたを彼らが知らないからである。
15:22 もしわたしがきて彼らに語らなかったならば、彼らは罪を犯さないですんだであろう。しかし今となっては、彼らには、その罪について言いのがれる道がない。
15:23 わたしを憎む者は、わたしの父をも憎む。
15:24 もし、ほかのだれもがしなかったようなわざを、わたしが彼らの間でしなかったならば、彼らは罪を犯さないですんだであろう。しかし事実、彼らはわたしとわたしの父とを見て、憎んだのである。
15:25 それは、『彼らは理由なしにわたしを憎んだ』と書いてある彼らの律法の言葉が成就するためである。
15:26 わたしが父のみもとからあなたがたにつかわそうとしている助け主、すなわち、父のみもとから来る真理の御霊が下る時、それはわたしについてあかしをするであろう。
15:27 あなたがたも、初めからわたしと一緒にいたのであるから、あかしをするのである。
第16章
16:1 わたしがこれらのことを語ったのは、あなたがたがつまずくことのないためである。
16:2 人々はあなたがたを会堂から追い出すであろう。更にあなたがたを殺す者がみな、それによって自分たちは神に仕えているのだと思う時が来るであろう。
16:3 彼らがそのようなことをするのは、父をもわたしをも知らないからである。
16:4 わたしがあなたがたにこれらのことを言ったのは、彼らの時がきた場合、わたしが彼らについて言ったことを、思い起させるためである。これらのことを初めから言わなかったのは、わたしがあなたがたと一緒にいたからである。
イエス様は、弟子たちが世に出て行く時に直面するであろう厳しい現実について警告します。
- 世がキリストを憎んだから: 世がイエス様ご自身を憎んだように、イエス様とつながっている弟子たちも憎まれるだろう、とイエス様は言います。
- 迫害の予告: 弟子たちは、会堂から追放されたり、殺されることさえあると予告されています。さらに、迫害する側は「神に仕えている」と思い込んでいる、という皮肉な事実も指摘されます。
- つまずかないため: これらのことを前もって話したのは、弟子たちがつまずいたり、信仰を失ったりしないためでした。
🕊️ 16章5-15節: 助け主(聖霊)の約束と役割
16:5 けれども今わたしは、わたしをつかわされたかたのところに行こうとしている。しかし、あなたがたのうち、だれも『どこへ行くのか』と尋ねる者はない。
16:6 かえって、わたしがこれらのことを言ったために、あなたがたの心は憂いで満たされている。
16:7 しかし、わたしはほんとうのことをあなたがたに言うが、わたしが去って行くことは、あなたがたの益になるのだ。わたしが去って行かなければ、あなたがたのところに助け主はこないであろう。もし行けば、それをあなたがたにつかわそう。
16:8 それがきたら、罪と義とさばきとについて、世の人の目を開くであろう。
16:9 罪についてと言ったのは、彼らがわたしを信じないからである。
16:10 義についてと言ったのは、わたしが父のみもとに行き、あなたがたは、もはやわたしを見なくなるからである。
16:11 さばきについてと言ったのは、この世の君がさばかれるからである。
16:12 わたしには、あなたがたに言うべきことがまだ多くあるが、あなたがたは今はそれに堪えられない。
16:13 けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう。
16:14 御霊はわたしに栄光を得させるであろう。わたしのものを受けて、それをあなたがたに知らせるからである。
16:15 父がお持ちになっているものはみな、わたしのものである。御霊はわたしのものを受けて、それをあなたがたに知らせるのだと、わたしが言ったのは、そのためである。
イエス様はご自身が去ることによって、より素晴らしい助けが来ることを約束します。
- 去ることは益: イエス様が去らなければ、「助け主」( パラクレートス、聖霊)は来ません。イエス様が去ることは、弟子たちにとってむしろ良いことなのです。
- 聖霊の三つの役割: 聖霊が来たら、世に対して三つの事柄について悟らせます。
- 罪について: イエス様を信じない罪。
- 義について: イエス様が父のもとへ行き、世に見えなくなること。
- さばきについて: この世の支配者(悪魔)がすでに裁かれていること。
- 真理への導き: 聖霊は、弟子たちをすべての真理に導きます。聖霊はイエス様から聞き、それを受け継いで弟子たちに知らせる役目を持ちます。
😄 16章16-33節: 悲しみが喜びに変わる — 再会と勝利
16:16 しばらくすれば、あなたがたはもうわたしを見なくなる。しかし、またしばらくすれば、わたしに会えるであろう」。
16:17 そこで、弟子たちのうちのある者は互に言い合った、「『しばらくすれば、わたしを見なくなる。またしばらくすれば、わたしに会えるであろう』と言われ、『わたしの父のところに行く』と言われたのは、いったい、どういうことなのであろう」。
16:18 彼らはまた言った、「『しばらくすれば』と言われるのは、どういうことか。わたしたちには、その言葉の意味がわからない」。
16:19 イエスは、彼らが尋ねたがっていることに気がついて、彼らに言われた、「しばらくすればわたしを見なくなる、またしばらくすればわたしに会えるであろうと、わたしが言ったことで、互に論じ合っているのか。
16:20 よくよくあなたがたに言っておく。あなたがたは泣き悲しむが、この世は喜ぶであろう。あなたがたは憂えているが、その憂いは喜びに変るであろう。
16:21 女が子を産む場合には、その時がきたというので、不安を感じる。しかし、子を産んでしまえば、もはやその苦しみをおぼえてはいない。ひとりの人がこの世に生れた、という喜びがあるためである。
16:22 このように、あなたがたにも今は不安がある。しかし、わたしは再びあなたがたと会うであろう。そして、あなたがたの心は喜びに満たされるであろう。その喜びをあなたがたから取り去る者はいない。
16:23 その日には、あなたがたがわたしに問うことは、何もないであろう。よくよくあなたがたに言っておく。あなたがたが父に求めるものはなんでも、わたしの名によって下さるであろう。
16:24 今までは、あなたがたはわたしの名によって求めたことはなかった。求めなさい、そうすれば、与えられるであろう。そして、あなたがたの喜びが満ちあふれるであろう。
16:25 わたしはこれらのことを比喩で話したが、もはや比喩では話さないで、あからさまに、父のことをあなたがたに話してきかせる時が来るであろう。
16:26 その日には、あなたがたは、わたしの名によって求めるであろう。わたしは、あなたがたのために父に願ってあげようとは言うまい。
16:27 父ご自身があなたがたを愛しておいでになるからである。それは、あなたがたがわたしを愛したため、また、わたしが神のみもとからきたことを信じたためである。
16:28 わたしは父から出てこの世にきたが、またこの世を去って、父のみもとに行くのである」。
16:29 弟子たちは言った、「今はあからさまにお話しになって、少しも比喩ではお話しになりません。
16:30 あなたはすべてのことをご存じであり、だれもあなたにお尋ねする必要のないことが、今わかりました。このことによって、わたしたちはあなたが神からこられたかたであると信じます」。
16:31 イエスは答えられた、「あなたがたは今信じているのか。
16:32 見よ、あなたがたは散らされて、それぞれ自分の家に帰り、わたしをひとりだけ残す時が来るであろう。いや、すでにきている。しかし、わたしはひとりでいるのではない。父がわたしと一緒におられるのである。
16:33 これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平安を得るためである。あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」。
この部分は、イエス様の一時的な不在と、その後の永遠の再会と勝利を語っています。
- 少しの間の不在と再会: イエス様は、少しの間弟子たちと別れるが、やがて再び彼らはイエス様を見るようになると語ります。弟子たちは最初は理解できず戸惑いますが、これは十字架と復活を指しています。
- 産みの苦しみ: 弟子たちの悲しみは、産みの苦しみに例えられます。苦しみは一時的で、やがて来る喜び(復活)は、その苦しみを忘れさせるほど大きいものです。
- 祈りの変化: これからは、イエス様の御名によって父なる神に求めることができるようになります。
- 世での勝利: 最後に、イエス様は別れを告げ、彼らがつまずくことを知りながらも、力強い励ましの言葉で締めくくります。「あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」(33節)
💡 まとめと感想
この二章は、まさに「弟子訓練の最終講義」のようなものです。イエス様は、ぶどうの木のようにキリストに深く結びついて生きることの必要性を教え、その結果として世からの迫害があることを覚悟させます。
しかし、その厳しい現実の中でこそ、聖霊という最強の助け主が与えられ、最終的にはイエス様の勝利にあずかることができる、という希望のメッセージで満ちています。
ユーモアを交えるなら、「ぶどうの木と枝」の話は、「イエス様と離れると、枝が乾燥して焚きつけにされるだけだよ! だから、常に水分(聖霊)補給と栄養(御言葉)摂取は欠かさずにね!」という、非常に生命力に満ちた、そしてちょっと厳しい農家のお父さんからの教えにも聞こえますね!
🌼こどもたちへのメッセージ
イエスさまは「わたしはぶどうの木」と言いました。みんなは、その木につながっている小さな枝のようです。イエスさまといっしょにいると、心にあいがいっぱい育ちます。こまったときも、イエスさまはちゃんとそばにいて、まもってくれます。
🎚️ 弟子の告白
主よ、わたしは時に枝のように弱く、折れやすい存在です。でもあなたにつながっているとき、わたしのうちに愛が流れ、実を結ぶことができると信じます。世の困難の中でも、あなたが「すでに勝った」と語ってくださることに力を得て、今日もあなたとともに歩みます。
🖼 原画アイキャッチ情報
【代替テキスト】
暗闇の中、たいまつの灯りに照らされながら、イエスが弟子たちに語りかけている。弟子たちは静かに立ち、主の言葉に心を向けている。夜の静けさと神聖な雰囲気が漂う場面。
【キャプション】
「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝です」――ゲッセマネへ向かう途中、主が夜の道すがら弟子たちに語られた、愛と真実の教え(ヨハネ15〜16章)
📌原画には、パブリックドメイン口語訳が含まれています。
https://j-bible.jimdofree.com/
🎨 らけるまの創作メモ|夜の道を照らす光を描こうとした日
この絵を描いたとき、イエス様が歩まれた夜道の静けさと、その中にあった深い祈りと愛を思い浮かべていました。たいまつの光は、闇を照らす主の言葉のようです。弟子たちがその光に照らされながら歩く姿に、「主と共にいる」ことの意味を重ねました。
📝この記事のまとめ
- イエス様はゲッセマネに向かう途中、弟子たちに最後の教えを語られた
- 「ぶどうの木と枝」のたとえは、イエスとのつながりの大切さを表している
- 世の憎しみや困難に備えるように、イエス様は励まされた
- 聖霊の助けと平安の約束が語られた
- 「わたしはすでに世に勝った」との言葉は、今も私たちの力になる
🕊️ 結びの祈り
主イエス様、あなたが歩まれたその夜道を、わたしたちも今日歩んでいます。心が疲れやすいときにも、あなたのことばが光となって進むべき道を示してくださいますように。あなたの愛と平安が、読むすべての人の心を満たしますように。アーメン。
🔔 次回の予告
次回は、「大祭司の祈り」ヨハネ17章1-26節をお届けします。イエス様が十字架を前に弟子たちのためにささげた、深いとりなしの祈りに心を寄せていきましょう。
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