バプテスマのヨハネの問いと、イエスの答え

獄中のヨハネが鎖につながれた手を合わせてイエスに問いかけ、イエスが静かに応答している様子を描いたイラスト。中央に「バプテスマのヨハネの疑問とイエスの答え」という日本語タイトル。 教えとたとえ話|心に届くことば

🌱はじめに

獄中のバプテスマのヨハネは、自分が道を備えたイエスこそが「来るべき方」なのかどうか、改めて問いかけます。
その問いの背後には、信仰に生きる者としての不安や揺らぎがにじんでいます。
イエスはそんなヨハネの問いに、非難ではなく、優しく確かな「証し」で応えられました。

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📌この記事を読むとわかること

  • バプテスマのヨハネの問いの背景
  • イエスが語られた答えの意味
  • 信仰の不安と向き合うための光
  • イエスがヨハネをどのように評価されたか

🖼️原画①:『バプテスマのヨハネの質問とイエスの証言』

牢にいるバプテスマのヨハネが弟子たちを通してイエスに問いかけ、イエスがその証しとして福音のわざを語っている場面のイラスト。
「来たるべき方はあなたですか?」 ――獄中のヨハネの問いに、イエスは癒しと救いのわざを通して応えられました。 信仰の道を見失いそうになるとき、イエスのなさるみわざを思い起こしましょう。

🎨場面の背景と意味

この場面は、獄中のヨハネが弟子を通してイエスに「来たるべき方はあなたですか」と問いかけた場面です。
彼はかつてヨルダン川でイエスに洗礼を授け、聖霊が鳩のように下るのを目撃し、天からの声を聞いた人です(マタイ3章)。
にもかかわらず、牢獄という孤独と苦しみの中で、彼の心は揺らぎました。

これは、信仰者のリアルな姿です。
どれほど神を知り、仕えてきた者であっても、現実の重みの中で「本当にこれでいいのか」と思うことがあります。
「メシアなら自分を助け出してくださるのでは?」という期待も、あったかもしれません。

しかし、イエスはその問いに対して直接「そうだ」とは言わず、神のわざを語ることで答えられました。
「目が見え、足が歩き、耳が聞こえ、死人が生き返り、貧しい者に福音が告げられている」――
これは、イザヤ書に預言されていたメシアのしるし(イザヤ35:5–6、61:1)そのものであり、
イエスがまさにその預言を成就しておられることを示しています。

🪶深いメッセージ

ヨハネの揺らぎに対し、イエスはとがめることなく、「福音が今も生きて働いている」と教えてくださいました。
そして最後に、「わたしにつまずかない者は幸いです」とそっと付け加えられます。
これは、見えない中でも信じ続ける者への祝福のことばです。


🖼 原画アイキャッチ情報

【代替テキスト】
牢にいるバプテスマのヨハネが弟子たちを通してイエスに問いかけ、イエスがその証しとして福音のわざを語っている場面のイラスト。

【キャプション】
「来たるべき方はあなたですか?」
――獄中のヨハネの問いに、イエスは癒しと救いのわざを通して応えられました。
信仰の道を見失いそうになるとき、イエスのなさるみわざを思い起こしましょう。

📌原画には、パブリックドメイン口語訳が入っています。


🖼️原画②:『イエスの証言と群衆への問いかけ』

イエスが群衆に向かって語りながら、バプテスマのヨハネの偉大さと民の応答について教えている場面のイラスト。
「あなたがたは、何を見に荒野へ出て行ったのですか?」 ――イエスは群衆に語られました。 バプテスマのヨハネの真実な歩みをたたえ、人々が御言葉にどう応えるかを問いかけられています。 神の言葉に耳を傾ける心を、いつも大切にしたいものです。

🎨場面の背景と意味

弟子たちが去った後、イエスは群衆に向かってヨハネについて語り始めます。
その内容は、驚くほどの称賛と証しです。

「あなたがたは何を見に荒野へ出て行ったのか?」という問いかけは、信仰の動機と心の姿勢を問うものです。
風に揺れる葦のように、流されやすいものを見に行ったのか?
柔らかい着物を着た者のように、権力に属する者を見に行ったのか?

いいえ、彼らが見たのは「預言者」、いや「預言者以上の者」でした。
イエスは旧約の預言(マラキ3:1)を引用し、ヨハネがメシアの道を備えるために遣わされた特別な存在であると明言します。

「女から生まれた者の中で、バプテスマのヨハネよりもすぐれた者は出ませんでした」――
なんという言葉でしょう。
揺らいだヨハネを、イエスは軽んじることなく、むしろ最大限の尊敬をもって紹介されるのです。

🪶深いメッセージ

イエスはさらに、「しかし、天の御国でいちばん小さい者でも、彼よりも偉大です」と語られます。
これは、神の国の価値観が人の目の基準とまったく異なるという逆転の真理を表しています。

ヨハネは旧約と新約の橋渡しをした人物。
けれど、イエスによって開かれる「天の御国」に生きる者は、まったく新しい恵みの中にいる――
この言葉には、私たち一人ひとりが、神の国の中で大切な存在であるという深い励ましが込められています。


🖼 原画アイキャッチ情報

【代替テキスト】
イエスが群衆に向かって語りながら、バプテスマのヨハネの偉大さと民の応答について教えている場面のイラスト。

【キャプション】
「あなたがたは、何を見に荒野へ出て行ったのですか?」
――イエスは群衆に語られました。
バプテスマのヨハネの真実な歩みをたたえ、人々が御言葉にどう応えるかを問いかけられています。
神の言葉に耳を傾ける心を、いつも大切にしたいものです。

📌原画には、パブリックドメイン口語訳が入っています。


🎨 らけるまの創作メモ|「問い」を描こうとした日

この絵を描いた日は、
聖書の中のひとつの問いかけに、心が止まりました。

「来たるべき方は、あなたですか?」

それは、バプテスマのヨハネの言葉でした。
彼はイエスに洗礼を授け、天からの声を聞き、
聖霊が鳩のように降るのを見た人です。

でもこの時、彼は牢の中にいて、
「神の子なら、きっと自分をすぐにでも救い出してくれる」と信じていたのかもしれません。
しかし、解放される気配もなく、
時が過ぎる中で、彼の心には小さな疑いが生まれたのでしょう。
「本当に、あの方でよかったのだろうか……」

私はこの場面に、目に見えない苦しみと、
信じる者の静かな葛藤を感じました。

それでもイエスは、そんなヨハネの問いをとがめることなく、
神のわざ――目が見え、足が歩き、
貧しい者に福音が届けられていること――を語られました。
「わたしにつまずかない者は幸いです」
その言葉には、すべてを知った上での深いやさしさがありました。

もう一枚の絵には、
その後、イエスがヨハネについて語る姿を描きました。
「女から生まれた者の中で、ヨハネよりも偉大な者はいない」
――たとえ揺らいだとしても、
ヨハネの誠実さと信仰は、神の目には決して失われていなかったのです。

信じていても、
祈っていても、
思うように応えられないとき、
わたしたちもヨハネのような問いを持つことがあります。

それでも神は、
その問いをも含めて、
やさしく受けとめてくださるのだと、
この絵を通して伝えたかったのです。

今日も、心に問いを抱える誰かのもとに、
神さまのまなざしが静かに届きますように。

らけるま🕊️


💬まとめ:ヨハネの問いと、イエスの答えが教えてくれること

  • 信仰者にも揺れはある。それは恥ずかしいことではなく、神はその問いに誠実に応えてくださる。
  • イエスの働き(御業)は、神の国のしるしであり、信仰の根拠となるもの
  • イエスは、弱さを持った人を責めるのではなく、その真実さを評価し、光を当ててくださる方
  • 神の国では、目に見える「強さ」や「地位」ではなく、心の謙遜と信仰が尊ばれる

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