🌱はじめに
ある朝、弟子たちは驚きました。前の日にイエス様がのろわれた、葉だけが茂っていたいちじくの木が、根元から枯れていたのです。その出来事は、ただの奇跡ではなく、信仰と赦しについての深い教訓を私たちに語っています。今日は、受難週の火曜日に起きたこの出来事を、静かに心に受けとめてみましょう。
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前回の記事「ギリシヤ人たちの願いと人の子が栄光を受ける時」はこちらからご覧いただけます
📝この記事を読むとわかること
- 枯れたいちじくの木の出来事の意味
- イエス様が教えられた信仰と祈りの力
- 赦しの大切さについて
📖 この箇所の文脈|いちじくの木と神殿の浄め
前回、受難週の月曜日にイエス様はエルサレム神殿に入り、商人たちを追い出し、神殿を「祈りの家」とすることの大切さを示されました。同じ日、実をつけていないいちじくの木を見て、イエス様はそれをのろわれました。その翌朝、弟子たちはその木が根元から枯れているのを発見します。この出来事は、見かけだけで実を結ばない信仰の危うさを示す象徴であり、また、真の信仰に生きる者には祈りと赦しが必要であることを教えているのです。
🖼️ 原画:『枯れたいちじくの木の教訓』(らけるま作)

🪷やさしい解説|受難週の火曜日
信じる心が、見えない山をも動かします。
イエス様は弟子たちに、「神を信じなさい」と語りかけます。そして、祈るときには、信じて求めなさい、と勧められました。ただ願うだけではなく、信じて願う心が、天に届くのです。そしてもう一つ大切なのは、赦す心。誰かに対してわだかまりがあるなら、まずそれをゆるしてから祈りなさいと、イエス様は言われます。信仰と祈り、そして赦し――その三つは、天の父に届く道なのです。
*受難週:火曜日*
🌼こどもたちへのメッセージ
いちじくの木が枯れてしまったのは、実がなかったからです。イエスさまは、「信じること」「お祈りすること」「ゆるすこと」の大切さを教えてくれました。神さまは、心からのお祈りを聞いてくださいます。小さなことでも、イエスさまといっしょに歩んでいきましょうね。
🎚️ 弟子の告白
主よ、私はしばしば、葉だけが茂って実を結ばない木のようです。人からよく見られようとするけれど、心は空っぽなときがあります。でも、あなたの前では、ありのままの私でいたいです。祈ることを恐れず、あなたを信じて願えるように助けてください。そして、私の心から誰かを赦すことができますように。あなたが私を赦してくださったように。アーメン。
🖼 原画アイキャッチ情報
【代替テキスト】
イエスと弟子たちが枯れたいちじくの木を見つめ、教えを語られている様子。背景には山々が広がり、根元から枯れた木々と真剣な表情の弟子たちが描かれている。
【キャプション】
「信じて祈るなら、必ず成し遂げられる」――枯れたいちじくの木を通して、信仰と赦しについて語られるイエスの教え(マルコ11:20-25より)
📌原画には、パブリックドメイン口語訳が含まれています。
https://j-bible.jimdofree.com/
🎨 らけるまの創作メモ|「枯れたいちじくの木」を描こうとした日
この場面を描きながら、「外見だけではなく、心から神さまに向かう信仰の実を結びたい」と思いました。イエスさまが弟子たちに真剣に語っておられる姿、弟子たちがそれを受けとめようとしている表情を大切に描きました。ひとつの木が枯れる出来事の中にも、いのちの言葉が響いています。
📝この記事のまとめ
- 枯れたいちじくの木は、実を結ばない信仰の象徴
- 真の信仰は、神を信じて祈ることから始まる
- 祈りの前には、赦す心が大切であることをイエスが教えられた
🕊️ 結びの祈り
主よ、外見ではなく、心からあなたを慕い求める者でありたいと願います。信じて祈るとき、あなたが耳を傾けてくださることを信じます。そして私が誰かをゆるすことができますように。その心が、あなたの愛で満たされますように。この記事を読んでくださったすべての方の上に、平安と希望がありますように。アーメン。
🔔 次回の予告
次回は、「イエスの権威についての質問」マタイの福音書21章23-22章14節をご一緒に味わっていきましょう。
イエスさまの御業やことばを、心静かにたどってみたい方へ。
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🌱 癒し|病と心の回復🌊 奇蹟|自然を超えた行い
🕊️ 赦しと解放|罪と重荷の自由
📖 教えとたとえ話
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