ギリシヤ人たちの願いと人の子が栄光を受ける時|ヨハネの福音書12章20-50節

イエスが弟子たちと異邦人の願いに応える場面。右側に「ギリシヤ人たちの願いと人の子が栄光を受ける時|ヨハネの福音書20–50節」の日本語タイトルが記されている。 イエス様の足跡を巡る旅

🌱はじめに

春の過越の祭りを迎え、エルサレムは礼拝者で賑わっていました。その中には、ユダヤ人だけでなく、神を慕い求める異邦人――ギリシヤ人たちの姿もありました。彼らの願いを通して、イエスはご自身の使命と、まもなく訪れる十字架の時について深く語られます。わたしたちはこの箇所を通して、神の栄光がどのように現されるのか、静かに心を傾けてみましょう。


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👉 前回の記事「宮きよめ」はこちらからご覧いただけます


📝この記事を読むとわかること

  • ギリシヤ人たちの願いが意味するもの
  • イエスが語られた「一粒の麦」のたとえの深い意味
  • 光のうちを歩むよう招かれるイエスの言葉
  • 信じるとは何か、不信仰とは何かを問う場面
  • 最後に語られるイエスの切なる招き


📖 この箇所の文脈|受難週の中の静かな対話

前回は、受難週の日曜日にイエスがエルサレムに勝利の入場をされた場面を見ました。そして月曜日には、神殿の「異邦人の庭」で商いをする者たちを追い出される宮きよめが行われました。その後、祭りのために集まっていた数人のギリシヤ人たちが、弟子たちを通してイエスに面会を申し出ます。異邦人の願いが差し出されたその瞬間、イエスは「人の子が栄光を受ける時が来た」と語り始められました。


🖼️ 原画:『ギリシヤ人たちの願いと人の子が栄光を受ける時』(らけるま作)


群衆の前で語るイエス。天からの声が響く中、イエスは「光の間に歩みなさい」と人々に語る。弟子たちと多くの人が周囲に集う場面。
イエスの語る言葉が人々を裁き、また永遠のいのちへと導くことを告げる場面。群衆の心の中に信じる者と恐れる者の姿が描かれる。
「わたしは世をさばくためではなく、救うために来た」―― この言葉のうちに、神の愛とあわれみがあふれています。 聞く耳と、従う心をわたしたちに与えてください。

🪷やさしい解説:受難週の月曜日

神殿でイエスに近づこうとしたギリシヤ人たち――彼らの願いは、ユダヤ人ではない異邦人であっても救いを求める心を持っていたということを表しています。その願いをきっかけに、イエスはご自身の死と復活、そして栄光について深い言葉で語られました。この箇所を3つの部分に分けて、静かに読み解いていきましょう。

「ギリシヤ人たちの願いと人の子が栄光を受ける時」(ヨハネ12:20-39)

ギリシヤ人たちは、ユダヤ教に関心を持ち、神を求めてエルサレムにやって来た人々でした。彼らの「イエスにお目にかかりたい」という願いは、すべての民への救いが広がっていくしるしでした。

イエスは「一粒の麦」のたとえを通して、ご自身の死の必要性と、それによってもたらされる多くの実を語られます。そして、「今こそ人の子が栄光を受ける時」と宣言され、父なる神の御声が天から響き渡る場面もありました。すべては、十字架へ向かう歩みの中にあって、神の御心がなされていることを示しています。

🔍 ヨハネ12:27–28 詳しいやさしい解説

ヨハ 12:27 今わたしは心が騒いでいる。わたしはなんと言おうか。父よ、この時からわたしをお救い下さい。しかし、わたしはこのために、この時に至ったのです。

ヨハ 12:28 父よ、み名があがめられますように」。すると天から声があった、「わたしはすでに栄光をあらわした。そして、更にそれをあらわすであろう」。

イエスさまは、ご自身の心の動揺を率直に語られます。「心が騒ぐ」とは、深い苦悩と葛藤を意味し、十字架の死を目前にした人間としての痛みを感じさせます。

しかしイエスさまは、「この時のために来た」と宣言され、苦しみから逃れるのではなく、御父のご計画に従う道を選ばれます。その祈りは「父よ、み名があがめられますように」という、神の栄光を第一とする従順な祈りでした。

そして天からの声――「わたしはすでに栄光をあらわした。そして、更にそれをあらわすであろう」――がそれに応じます。この声は、イエスの地上での歩みがすでに神の栄光を現していたこと、そしてこれからの十字架と復活によって、さらに栄光が表されることを示しています。

この場面は、わたしたちが苦しみに直面する時にも、神の目的があり、神の栄光がそこに現れる可能性があることを教えてくれます。

「ユダヤ人たちの不信仰」(ヨハネ12:37-43)

多くのしるしを見ながらも、イエスを信じない人々がいたことに、ヨハネはイザヤ書の言葉を引用して説明します。信じないという態度は、ただの理解不足ではなく、心のかたくなさや、世の誉れを求める心によって引き起こされるものでもあります。

しかし、それでもイエスは語ることをやめず、招きの言葉を差し出し続けられました。

「イエスのことばがさばく」(ヨハネ12:44-50)

最後に、イエスは大声で語られます。「わたしを見た者は、父を見たのである」「わたしの言葉は、終わりの日にその人をさばくであろう」。これらの言葉は、イエスがまことに神から遣わされた方であり、その語る言葉が永遠の命に関わる真実であることを示しています。

イエスの語ることばを信じ、心に受け入れること――それがわたしたちのいのちの道です。


🌼こどもたちへのメッセージ

イエスさまは、「わたしのことばを聞いて、それを守る人は光の中を歩けるよ」と言ってくださっています。ちょっとこわくても、イエスさまがともだちでいてくれるから大丈夫。イエスさまのことばに耳をかたむけて、心で信じて歩いていこうね。


🎚️ 弟子の告白

主よ、わたしの心は弱く、すぐに恐れたり迷ったりします。
でも、あなたの語られることばの中に、まことのいのちがあると信じます。
どうか、あなたの光のうちを歩む者として、わたしの足もとを照らしてください。
たとえ十字架の道のように見えても、その先に栄光のいのちがあると信じて従ってゆきます。


🖼 原画アイキャッチ情報

【代替テキスト】

  1. ギリシヤ人たちがイエスを訪ねるよう弟子たちに願い出る場面。
  2. 群衆の前で語るイエスと、それを見つめる弟子たちと人々。
  3. イエスが声をあげ、ご自身の使命を語る場面。

【キャプション】

  • 「主よ、イエスにお目にかかりたいのです」――異邦人たちの願いに、イエスは十字架への道を語られました。
  • 光のあるうちに歩みなさい。神の声とともに語られた希望の言葉。
  • 「わたしのことばは永遠のいのち」――信じる者に与えられる救いの約束。

📌原画には、パブリックドメイン口語訳が含まれています。
https://j-bible.jimdofree.com/


🎨 らけるまの創作メモ|異邦人の願いが届いた日

この絵を描きながら思ったのは、「誰の願いも神さまに届く」ということです。
ユダヤ人でも、ギリシヤ人でも、国や文化に関係なく、まっすぐに神を求める心があるなら、主は必ず応えてくださいます。
だから、わたしたちのささやかな祈りや願いも、きっと聞いていてくださる。
その確信を、絵の中に込めました。


📝この記事のまとめ

  • 異邦人がイエスを求めたことが、救いの広がりを示している
  • 「一粒の麦」のたとえは、イエスの死と実りを表している
  • イエスは人々に「光のうちを歩む」よう呼びかけた
  • ユダヤ人たちの不信仰にも、神の計画は進められていく
  • 最後に、イエスは救いと裁きについて力強く語られた

🕊️ 結びの祈り

愛する主イエスさま、
あなたが十字架に向かわれる道の中で、異邦人たちの願いを受けとめてくださったことに感謝します。
わたしたちもまた、自分の小さな願いや祈りを、あなたの前に差し出します。
どうか、あなたの光のうちを歩ませてください。
信じることができるように、心を開いてください。
今日も、あなたのことばがわたしたちを導き、支えてくださいますように。
アーメン。


🔔 次回の予告

次回は、「枯れたいちじくの木の教訓」(マルコの福音書11章20–25節)をお届けします。信仰と祈りの力について、静かに心を向けてまいりましょう。


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