🌱 はじめに
イエス・キリストは、生涯を通して、人々に大きな問いを投げかけ続けられました。
彼の言葉や行いを聞いた人々は、「この方は預言者かもしれない」「キリスト(救い主)だ」「いや、騙しているに違いない」など、さまざまな反応を示しました。
この章(ヨハネ7:40–52)には、まさにそのような緊張と葛藤が記されており、人々の信仰、疑念、立場の違いがあらわになります。
この記事では、この聖書箇所の背景と意味を丁寧に見つめながら、読者の皆さんと一緒に、イエスをめぐる分裂について静かに考えてみたいと思います。
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前回の記事「聖なる祭りの日、イエスは静かに立ち上がられた」はこちらからご覧いただけます
📝 この記事を読むとわかること
- ヨハネ7章40〜52節における主な出来事と登場人物
- なぜ人々はイエスに対して分裂した意見を持ったのか
- そこから私たちが学べる信仰の教訓
- 特に子どもたちに向けたメッセージと信仰を励ます言葉
📖 この箇所の文脈|仮庵の祭りとイエスのことば
ヨハネの福音書7章は、ユダヤの三大祭のひとつ「仮庵(かりいお)の祭り」を背景に進みます。
この祭りは、イスラエルの民が荒野を旅していた時代を覚え、神の守りを感謝するもので、ユダヤ人たちが全国からエルサレムに集まる大きな行事でした。
イエスはこの祭りのさなか、エルサレムの神殿で教えを語り始めます。
人々はその教えに驚きながらも、イエスがどこから来たのか、本当に神から遣わされた方なのか、疑問と議論が渦巻いていました。
特に祭りの最終日には、イエスがこう語られます。
「だれでも渇いているなら、わたしのところに来て飲みなさい。
わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」
(ヨハネ7:37–38)
この大胆な言葉は人々の心を大きく揺さぶり、そこから40節以降の「イエスについての意見の分裂」が始まります。
人々の間には、信じる心と疑い、知識と先入観、権威と恐れが入り混じっていたのです。
🖼️ 原画:『分裂する声 — イエスをめぐる意見の分裂』(らけるま作)

🪷 やさしい解説
ヨハネ7:40–52では、ユダヤの民衆、祭司やパリサイ人たち、そしてニコデモが登場し、イエスについて意見を交わします。民衆の中には「この方は預言者だ」と言う者もいれば、「この方はキリストだ」と主張する者、また「キリストはガリラヤから出るはずはない」と反論する者もいました(ヨハネ7:40–42)。
祭司やパリサイ人たちは、警備の役人にイエスを連行するよう命じましたが、彼らは戻ってきて「この人の語り方はこれまで聞いたことがない」と答えます(7:45–46)。
ニコデモも発言し、「律法は人の弁明を聞かずに裁くものではない」と指摘します(7:50–51)。祭司たちは「ガリラヤ出身の者から預言者は出ない」と反論します(7:52)。
この場面から見えることは、イエスのメッセージは―ただ一つの真実を語るものであるがゆえに―人々の心を分かつ力を持っているということです。ある人には希望となり、ある人には疑念となります(「平和ではなく剣をもたらす」という予言を成就するように)。
また、ニコデモのように、完全ではなくとも真理に心を向けようとする姿勢は、信仰の芽を表しているとも言えるでしょう。
私たちもまた、日々の生活の中で、イエスに対する自分の思いを問い直されるように、この場面は私たちの信仰を静かに照らし出します。
🌼 こどもたちへのメッセージ
イエスについて、人々はいろいろな思いを持っていました。
「この人は本当の救世主だ」「違う、それは間違いだ」――意見は分かれます。
でも大切なのは、心を閉ざさず、イエスの言葉に耳を傾けること。
もし迷いがあっても、少しずつでも、「なぜ?」「本当はどうなんだろう?」と問いを持ち続けることが、信仰の歩みには必要です。
イエスはあなたが問いを抱くことを責めず、じっと語りかけてくださいますよ。
🎚️ 信仰のことば
「真理は、すべての心に光を投げかけ、人を分かつこともある。しかしその光を恐れず、目をそらさずに見つめよう。」
🖼 原画アイキャッチ情報
【代替テキスト】
「イエスについての人々の意見の分裂」という見出しとともに、左に議論する民衆、右に祭司・パリサイ人、背景にヨハネ7章40〜52の聖句が書き込まれた原画。
【キャプション】
「信じる者、疑う者、沈黙する者――イエスをめぐる心の分裂を描いた一場面。 (ヨハネ7:40–52)」
📌 原画には、パブリックドメイン口語訳が含まれています。
https://j-bible.jimdofree.com/
🎨 らけるまの創作メモ|その日、描こうとした思い
この原画を描こうとした日は、聖書を読みながら「イエスをどう受け止めるかで、人は道を分かつ」という思いが胸に迫りました。
一人ひとりの顔が異なるように、イエスに対する思いもまた異なります。
だからこそ、私は「分裂する声」を描きながらも、その中に「問い」が残る余白を意識しました。
絵を見た方が、自分自身の内なる声に耳を澄ませるきっかけになればと願っています。
📝 この記事のまとめ
- ヨハネ7:40–52は、イエスをめぐる意見の分裂と人々の葛藤を描く場面
- 群衆、警備、祭司、ニコデモら各立場が異なる思いを語る
- イエスの言葉は、人を結ぶと同時に分ける力を持つ
- 信仰は、問い続けること、耳を傾けることから育まれる
- 子どもにも、「なぜ?」という問いを大切にする姿勢が力になる
🕊️ 結びの祈り
天の父なる神さま、
あなたはイエスを通して、私たちに光をお与えになります。
その光は、時に私たちの心を揺さぶり、問いを与えるものです。
どうか、私たちが恐れずにその光を見つめ、あなたの真理に耳を澄ませる力をください。
疑いや揺らぎがあっても、あなたの慈しみに触れ、信仰の歩みを歩ませてください。
この絵を通して、読む方々の心にあなたの静かな声が届きますように。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
🔔 次回の予告
次回は、「姦淫の場で捕えられた女」ヨハネ7・50‑8・11
――人の裁きと赦しをめぐる場面を一緒に見つめていきます。
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