イエスが語られた「ほんとうの家族」――マタイ12章に見る慰めと希望

イエスが3人の人々と微笑みながら語り合っているイラスト。上部には「イエスが語られた ほんとうの家族」という見出しと、下部に「父のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである」という聖書のことばが描かれている。 応答する人々|主に従う人生の始まり

🌱はじめに

家族が救われることを願い、祈り続けているけれど、なかなか届かない……。
そんな葛藤の中にあるクリスチャンにとって、イエス様が語られたこの言葉は、深い慰めとなることでしょう。
「わたしの母、わたしの兄弟たちは…神の御旨を行う者です」(マタイ12:50)
この記事では、マタイ12章のイエス様の言葉に焦点を当て、家族伝道に悩む心に寄り添うメッセージをお届けします。

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📝この記事を読むとわかること

  • マタイ12章におけるイエスの教えの背景と意味
  • 「神の御旨を行う者」とはどういう人か
  • 家族伝道に悩む人への慰めと励まし

🖼️ 原画:『イエスのまなざしにある家族』(らけるま作)

「群衆の中で、イエスが静かに語りかけている場面。前には癒された人々、後ろには不思議そうに見つめる人々が描かれている。」
「神の力は静かに働く」イエスは神の霊によって悪霊を追い出し、人々に神の国の到来を告げられました。力強く、しかし静かに――神の力は、人の心を照らす光です。
「聖霊への冒涜について語られるイエスの教えが中心に記されたページ。」
「しるしではなく、心を」神のしるしを求めるよりも、まず心を開くことが大切だとイエスは語られました。 聖霊を受け入れること――それが神との真のつながりの始まりです。
「イエスが手を差し伸べて語りかけている様子。手前には数人の人物の後ろ姿。」
「神の御心を行う者、それがわたしの家族です」イエスは、神の言葉に聞き従う人すべてを家族と呼ばれました。 私たちもまた、御心を求めて歩む中で、イエスとつながる家族となるのです。

🪷やさしい解説

マタイ12章では、イエスが目の見えず口のきけない人から悪霊を追い出され、人々は「この方こそメシアではないか」と驚きました。
ところが、宗教指導者であったパリサイ人たちは、「この人はベルゼブルによって悪霊を追い出している」と非難します。

この「ベルゼブル論争」において、イエスは次のように反論されました。

  1. サタンが自らに仕える悪霊を追い出すはずがなく、そのような国は立ち行かない。
  2. 他のユダヤ人の行う悪霊追放を認めつつ、イエスだけをサタンの力とするのは矛盾している。
  3. イエスによる悪霊追放は、神の国がすでに到来しているしるしである。
  4. 悪霊に縛られていた者を解放するには、まずその支配者(サタン)を縛らなければならない。

さらにイエスは、「聖霊に逆らう罪」について語られました。
これは、イエスが聖霊によって行っていた神の御業を、意図的に悪霊の働きと決めつけたこと――つまり、当時のイスラエルがメシアの証しを拒んだことを指しています。

この罪は民族的なものであり、38節以降で示されるように、のちの時代のユダヤ人個人にそのまま当てはめるべきではありません。
この不信仰のゆえに、天の御国は一時的にイスラエルから取り去られましたが、患難期を通して再び与えられる希望も聖書には記されています(マタイ24〜25章)。

そして、これ以降イエスは、「ヨナのしるし」以外に、ご自身のメシア性を示す奇跡を公に行うことはありませんでした。
ヨナのしるし――それは、

  1. ラザロの蘇生(死後4日目)、
  2. イエスの復活(死後3日目)、
  3. 黙示録に登場する2人の証人(黙示録11章)
    に象徴的に表されます。

続く「汚れた霊」のたとえも、イスラエルの民に対する預言です。
バプテスマのヨハネによって一度は霊的な備えがなされたものの、イエスを拒否し、心を空き家のままにしていた結果、より悪い状態が訪れると警告されました。
それは歴史的に、紀元70年のエルサレム崩壊と世界への離散というかたちで現実のものとなったのです。

そして最後に語られるのが、「イエスの母と兄弟たち」の場面です。
当時のユダヤ社会では、血統がとても重視されており、「ユダヤ人はアブラハムの子孫である」という理由だけで、天の御国に入れると教えられていました。
しかしイエスは、神の御心を行う者こそが「わたしの兄弟、姉妹、また母なのです」と宣言されました。

これは、霊的な家族の誕生を告げる言葉です。
異邦人である私たちも、イエス・キリストを信じる信仰によって、神の家族とされました。
血縁ではなく、信仰によって、誰でもこの神の御国に加えられるのです。


🌼こどもたちへのメッセージ

イエスさまは、神さまのことをたいせつにするみんなを「かぞく」ってよんでくれました。
それは、ほんとうのかぞくよりも、もっとふかいつながりです。
やさしいこころ、ゆるすこころ、いっしょにおいのりするこころ……
そんなみんなを、イエスさまはいつもそばでみていてくれるんだよ。


🎚️ 信仰のことば

「神の御旨を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。」(マタイによる福音書12章50節)


🖼 原画アイキャッチ情報

【代替テキスト】
1枚目:人々に囲まれたイエスが、悪霊に取りつかれた人をいやしながら、神の国の力について語っている場面。周囲には驚きと緊張が入り混じる表情の群衆が描かれている。イエスが群衆の中で語りながら、やさしいまなざしで手を差し伸べている場面。そばには信じる者たちが静かに寄り添っている。
2枚目:イエスが律法学者たちに語りかけ、『聖霊に逆らう罪』と『悔い改めのしるし』について教えている場面のテキスト画面。背景に挿絵はなく、御言葉に集中できる構成。
3枚目:イエスが群衆の中で話している最中に、外にいた母と兄弟たちの存在を告げられる。イエスは手を差し伸べながら、神の御心を行う者こそが家族であると語る場面。

【キャプション】
1枚目:「わたしの力は、神の御霊によって――」
群衆に囲まれながら、イエスは静かに、しかし確かな権威をもって語られました。人々の中には驚く者も、疑う者もいましたが、イエスのことばは一貫して神の国の希望と真理を指し示しています。
この絵は、マタイ12章の場面を描いたものです。イエスは、神の霊によって悪霊を追い出し、「神の国はすでにあなたがたのところに来ている」と語られました。
2枚目:「聖霊に逆らう罪――それは、心の扉を閉ざすこと」
イエスは、神の働きをあざける心に対して厳しい警告を与えました。それは人を裁くためではなく、悔い改めに導くための真実のことばです。
また、人々が「しるし」を求める中で、イエスは預言者ヨナのしるし、つまりご自身の死と復活によって最も深い神の愛を示されることを予告されました。
イエスの語る真理は、恐れではなく、救いへの招きなのです。
3枚目:「わたしの母、わたしの兄弟――それは、神の御心を行う者」
イエスは、血のつながりよりも深いつながり――神の御心に従う者との霊的な家族関係を語られました。
また、汚れた霊のたとえを通して、空っぽの心に再び悪が入り込まないよう、神の言葉で満たすことの大切さを教えています。
わたしたちも、日々の歩みの中で、イエスと共に歩む者として御心を求め続けたいと願います。

📌原画には、パブリックドメイン口語訳が含まれています。


🎨 らけるまの創作メモ|「わたしの家族」を描こうとした日

この場面を描こうと筆をとった日、私は家族の救いを祈っている友の涙を思い出していました。
家族に信仰を伝えるのは、ときにとてもむずかしく、さみしいものです。
でもイエスさまは、御旨を求めて歩む者たちを、ほんとうの家族として迎えてくださる。
そのまなざしのやさしさを、絵の中にも込めたつもりです。
この絵を見ただれかの心が、すこしでも慰められますように。


📝この記事のまとめ

  • イエスは、神の御心を行う者を「家族」と呼ばれた
  • マタイ12章の場面は、家族伝道に悩む人に慰めを与える
  • イエスのまなざしは、いつも信じる者に注がれている
  • 「聖霊に逆らう罪」などの警告は、当時のユダヤ人指導者への厳しい呼びかけだった
  • 血縁よりも、信仰による霊的つながりが神の家族のしるしである

🕊️ 結びの祈り

主イエスさま、
あなたが「神の御心を行う者こそ、わたしの家族」と言ってくださったことに、今日、深く慰められました。
信仰を知らない家族のために祈りながら、時に涙する日々もありますが、
あなたが私をあなたの家族として迎えてくださっていることが、何よりの励ましです。
どうか、私の愛する家族にも、あなたのまなざしが届きますように。
あなたの平和と真実の中で、共に生きる日が訪れますように。
アーメン。


🔔 次回の予告

次回は「種が蒔かれた地面のたとえ」――マタイ13章より、イエス様が語られた心の畑のたとえを、原画とともにご紹介します。


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✨感謝のことば
最後まで読んでくださって、ほんとうにありがとうございます。
あなたの心に、今日も小さな光が灯りますように――
またいつでもお越しくださいね🕊️
応答する人々|主に従う人生の始まり
著作権
本作品は、聖書に忠実に、神様との対話の中で心を込めて描いた原画です。文化庁に著作権登録済みであり、無断使用・転載はご遠慮くださいますようお願いいたします。 This artwork was prayerfully created in faithful reflection of the Bible and through a personal dialogue with God. It is registered with the Agency for Cultural Affairs, Japan. Unauthorized use or reproduction is not permitted.
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