🌱 はじめに
人はだれしも、「従う」と聞くと少し迷いや不安を覚えるものです。
けれども、聖書はイエスに従う歩みを、ただの義務ではなく「いのちの道」として示しています。ルカによる福音書9章57–62には、イエスに従う決意についての大切な言葉が記されています。今日、この御言葉から私たちの心に静かに響く導きを受け取りましょう。
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前回の記事「サマリヤで拒まれたイエス 」はこちらからご覧いただけます
📝 この記事を読むとわかること
- ルカ9章57–62に描かれる「イエスに従う」ことの意味
- 信仰生活における迷いや葛藤との向き合い方
- 子どもにもわかる「従う心」のやさしい解説
- 日々の祈りに役立つ短い信仰のことば
🖼️ 原画:『イエスに従うことについて』(らけるま作)

ルカの福音書9章57-62節の解説:イエスに従うことの代償
ルカの福音書9章57-62節は、イエスがエルサレムへの旅路を始めた直後に起こった出来事です。イエスに従うことを志願する3人の人物と、イエスが彼らに突きつける「代償」が描かれています。この箇所は、イエスに従うことの徹底的な献身と絶対的な優先順位というテーマを浮き彫りにしています。
箇所の文脈
この箇所は、ルカの福音書における「エルサレムへの旅路」(9:51-19:27)の始まりに位置しています。直前(9:51-56節)では、イエスがエルサレムへ向かう固い決意を示し、その途上でサマリヤ人から拒絶されたにもかかわらず、弟子たちの報復心を戒めました。イエスは、滅ぼすためではなく救うために来たことを宣言し、目的地へと進んでいます。
この「旅路」は、単なる地理的な移動ではなく、イエスが十字架へと向かう神の救済計画の最終段階であり、弟子たちにとっても信仰の真価が問われる厳しい訓練の期間でもありました。このような背景の中で、イエスは「私に従う」とはどういうことなのかを、具体的な例を挙げて教えています。
各節の解説
※この聖句はパブリックドメインの口語訳聖書を引用しています。
https://j-bible.jimdofree.com/
57-58節:最初の志願者 — 安住の地を捨てる覚悟
【聖句引用(口語訳)】
57節:道を進んで行くと、ある人がイエスに言った、「あなたがおいでになる所ならどこへでも従ってまいります」。 58節:イエスはその人に言われた、「きつねには穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子にはまくらする所がない」。
- 「あなたがおいでになる所ならどこへでも従ってまいります」: 最初の志願者は、イエスに対する熱烈な思い、あるいはイエスに従うことで得られるであろう名声や利益を期待して、勢いよく献身を表明しました。一見すると、非常に信仰深い態度に見えます。
- 「きつねには穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子にはまくらする所がない」: イエスは、その熱意の裏にある現実を突きつけます。イエスに従うということは、安楽な生活や物質的な安定を捨てることを意味します。イエス自身が「人の子」(イエス自身のメシア的呼称)として、定まった住居を持たない放浪の生活を送っていたことを語り、それを受け入れる覚悟があるのかを問うています。イエスに従う道は、世的な保証や快適さとは無縁であることを示唆しています。
59-60節:二番目の志願者 — 家族への義務より神の国を優先
【聖句引用(口語訳)】
59節:またほかの人に、「わたしに従ってきなさい」と言われた。するとその人が言った、「まず、父を葬りに行かせてください」。 60節:彼に言われた、「その死人を葬ることは、死人に任せておくがよい。あなたは、出て行って神の国を告げひろめなさい」。
- 「わたしに従ってきなさい」: この人物は、イエスから直接招かれた弟子候補です。
- 「まず、父を葬りに行かせてください」: 当時のユダヤ社会において、親の葬儀は子供にとって最も重要な義務でした。これを果たさないことは、親不孝の極みと見なされるほどの文化的・宗教的義務です。この人物は、イエスに従いたいという意思はありながらも、社会的な義務を優先させようとしました。
- この返答は、父親がすでに亡くなっていて、その埋葬許可を求めていると解釈されることもありますが、多くの聖書学者は「父親はまだ生きていて、いずれ亡くなるであろう父親の葬儀が終わってから従う」という、延期を求める表現と解釈しています。つまり、家族の義務を果たすまで、イエスに従うことを保留したい、という申し出です。
- 「その死人を葬ることは、死人に任せておくがよい。あなたは、出て行って神の国を告げひろめなさい」: イエスは極めて厳しく、この申し出を退けます。
- 「死人に任せておくがよい」: 霊的に死んでいる者たち(神の国を知らない者たち)が、死人を葬るという世的な義務を果たすのは当然であるという意味です。
- イエスは、神の国の宣教が、どんなに重要な家族の義務(たとえ親の葬儀であっても)よりも絶対的な優先順位を持つことを教えます。イエスに従うこと、そして神の国を宣べ伝えることは、今すぐに、他のいかなることも差し置いて行われるべきである、という緊急性を強調しています。
61-62節:三番目の志願者 — 振り返らない徹底的な献身
【聖句引用(口語訳)】
61節:またほかの人が言った、「主よ、従ってまいりますが、まず家の者に別れを言いに行かせてください」。 62節:イエスは言われた、「手をすきにかけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくないものである」。
- 「まず家の者に別れを言いに行かせてください」: この願いは、エリシャがエリヤに従う際に家族に別れを告げた例(列王上19:19-21)にも似ており、一見すると当然で常識的な願いに見えます。
- 「手をすきにかけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくないものである」: イエスは、この願いにも厳しい言葉を投げかけます。
- 「手をすきにかける」: 当時の農作業で、すきをまっすぐ進めるためには、前方をしっかりと見据えなければなりません。一度すきを握ったら、後ろを振り返ってはいけない、という意味です。
- イエスに従うことは、揺るぎない決意と、過去や世俗的なものへの未練を完全に断ち切る献身を要求します。少しでも後ろ髪を引かれる思いがあるならば、それは神の国の働きにとってふさわしくない、と教えています。神の国への召しは、二心のない、全き献身を求めるものです。
この箇所の神学的意味
- イエスに従うことの代償と絶対性: イエスは、自分に従う道が安楽ではないこと(まくらする所がない)、世俗的な義務や関係性よりも神の国を優先すること(死人に死人を葬らせる)、そして過去や世俗への未練を完全に断ち切ること(うしろを見ない)を要求します。
- 神の国の緊急性と優先順位: 神の国の宣教は、私たちが持つあらゆる義務、快適さ、家族関係よりも最優先されるべき緊急の課題であることを示しています。
- 真の弟子道の厳しさ: この箇所は、表面的な熱意や一時的な感情ではなく、イエスに対する全き献身と覚悟こそが真の弟子道であると教えています。これは、弟子となることの厳しさと、その覚悟の深さを問いかけるものです。
- イエスの権威: イエスが、家族の義務のような当時の社会で最も重視されたものさえも超えて、ご自身に従うことを要求する姿は、彼の比類なき権威を明確に示しています。
ルカ9章57-62節は、イエス・キリストに従うことが、どれほどの覚悟と献身を要求するものであるかを私たちに示し、私たちの信仰生活の優先順位を問い直す、深く挑戦的な箇所です。
🪷 やさしい解説
この場面でイエスは、従いたいと願う人々に語られました。
「きつねには穴があり、空の鳥には巣がある。しかし人の子にはまくらする所がない」(ルカ9:58)。
この言葉は、イエスに従う道が必ずしも安心で快適なものではないことを示しています。時には不安や犠牲を伴うかもしれません。しかし、その歩みは「神の国」を告げ知らせる、いのちの道へとつながっています。
イエスに従うとは、自分の計画よりも、神さまの導きを信じて進むこと。そこに、本当の平安が与えられるのです。
🌼 こどもたちへのメッセージ
イエスさまについていくことは、ときどきむずかしく感じるかもしれません。
でも、イエスさまはいつもいっしょにいてくださいます。大事なのは「イエスさまを大好き」という心を持ち続けること。小さな一歩でも、イエスさまは喜んでくださいますよ。
🎚️ 信仰のことば
「わたしはイエスに従います。たとえ小さな一歩でも、主とともに歩む道を選びます。」
🖼 原画アイキャッチ情報
【代替テキスト】
「弟子に囲まれたイエスが語りかけ、人々が耳を傾けている場面。『イエスに従うことについて』(ルカ9章57–62)の言葉が添えられた聖書イラスト。」
【キャプション】
「どこへ行っても従います――そう告げた人々に、イエスは真の弟子としての歩みを語られました。迷いや葛藤の中でも、主に従う決意を新たにするための御言葉です。」
📌 原画には、パブリックドメイン口語訳が含まれています。
https://j-bible.jimdofree.com/
🎨 らけるまの創作メモ|『イエスに従うことについて』を描こうとした日
この場面を描いたとき、「従う」という言葉の重さを思いました。人は迷いやためらいを覚えますが、その中でイエスは静かに、そして力強く私たちを招いてくださいます。イラストの人物たちの表情に、決意と戸惑い、希望と不安の入り混じる心を込めました。
見る人が自分自身の歩みを重ねながら、イエスと共に進む勇気を受け取ってくださったら嬉しいです。
📝 この記事のまとめ
- イエスに従う道は、時に犠牲を伴うが、神の国へつながる希望の道
- ルカ9章57–62の御言葉は、私たちに「真の弟子」としての歩みを問いかけている
- 子どもたちには、イエスを「大好き」と思う気持ちが従う第一歩
- 信仰生活において、自分の計画よりも神の導きを選ぶ勇気が大切
🕊️ 結びの祈り
愛する主イエスさま、
私たちはときに迷い、従うことにためらう弱さを持っています。けれども、あなたは決して見捨てず、静かに招き続けてくださいます。どうか私たちの心に、あなたに従う勇気と喜びをお与えください。小さな一歩を積み重ねながら、あなたと共に歩む道を選び取ることができますように。
読んでくださった方一人ひとりの歩みが、あなたの恵みによって強められますように。
アーメン。
🔔 次回の予告
次回は、「仮庵の祭り、内密にエルサレムに上る」(ヨハネ7:10–39)から、イエスの深い思いと神の時についてご一緒に学びます。
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