🌱はじめに
イエスさまは、今日も私たちの心にそっと語りかけてくださいます。
飼い主のいない羊のように迷い、疲れ、傷ついた人々――そんな私たち一人ひとりをご覧になり、深く心を動かされました。
この記事では、マタイ9章から10章に描かれた「三度目のガリラヤ宣教」の場面をたどりながら、イエスさまのあたたかなまなざしと、弟子たちへの派遣、そして私たちへの励ましについて、やさしくひもといていきます。
    ✨ イエスさまの足跡をたどる旅へ ✨
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- 📝この記事を読むとわかること
- 🖼️ 原画:『イエスさまと弟子たち』(らけるま作)
- 📖 聖書本文(口語訳)マタイ9:35-11:1- 「群衆の困窮と働き人の必要」(マタイ9:35-38)
- 「十二使徒とその派遣」(マタイ10:1-15、マルコ3:13-19、6:7-13、ルカ6:12-16、9:1-6)
- 「迫害への警告」(マタイ10:16-25、マルコ13:9-13)
- 「恐れずにキリストを告白すべきこと」(マタイ10:26-33、ルカ12:2-9)
- 「イエスに従う者の心得について」(マタイ10:34-39、ルカ12:51-53,14:26-27)
- 「イエスを受け入れる者への報いについて」(マタイ10:40-42)
- 「使徒派遣後の宣教の旅」(マタイ11:1)
- まとめ:見出しごとのやさしい解説一覧
- 🪷やさしい解説まとめ
- 🌼こどもたちへのメッセージ
- 🎚️ 信仰のことば
- 🖼 原画アイキャッチ情報
 
- 🎨 らけるまの創作メモ|「働き人」を描こうとした日
- 📝この記事のまとめ
- 🕊️ 結びの祈り
- 🔔 次回の予告
- 📖この記事に関連する御言葉をもっと深く
📝この記事を読むとわかること
- 「群衆の困窮とイエスの憐れみ」の背景
- 十二弟子の選びと派遣の意味
- 信仰者としての備えと迫害への備え
- キリストを恐れずに告白する心
- イエスに従う者としての覚悟と報い
🖼️ 原画:『イエスさまと弟子たち』(らけるま作)

📖 聖書本文(口語訳)マタイ9:35-11:1
※この聖句はパブリックドメインの口語訳聖書を引用しています。
「群衆の困窮と働き人の必要」(マタイ9:35-38)
35イエスは、すべての町々村々を巡り歩いて、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいをおいやしになった。
36また群衆が飼う者のない羊のように弱り果てて、倒れているのをごらんになって、彼らを深くあわれまれた。
37そして弟子たちに言われた、「収穫は多いが、働き人が少ない。
38だから、収穫の主に願って、その収穫のために働き人を送り出すようにしてもらいなさい」。
やさしい解説
この場面には、イエス様の深い愛と憐れみがあふれています。人々の心も体も弱り、導き手を求めているのをご覧になり、その苦しみをすくい取ろうとされるのです。その光景は、神の国が広がるために活動する「宣教の必要性」への呼びかけとして私たちにも響いてきます✨。
「収穫」は、導きと癒しを待つ多くの人々。「働き人」は、その愛を届ける者たちです。この場面は、祈りによってその働き人が送られるよう神に願う、心の行動の始まりでもあります。神が“harvest”(収穫)の主であり、時と働き手を備えてくださると信じ、共に祈り覚えたいですね。
「十二使徒とその派遣」(マタイ10:1-15、マルコ3:13-19、6:7-13、ルカ6:12-16、9:1-6)
1そこで、イエスは十二弟子を呼び寄せて、汚れた霊を追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやす権威をお授けになった。
2十二使徒の名は、次のとおりである。まずペテロと呼ばれたシモンとその兄弟アンデレ、それからゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、
3ピリポとバルトロマイ、トマスと取税人マタイ、アルパヨの子ヤコブとタダイ、
4熱心党のシモンとイスカリオテのユダ。このユダはイエスを裏切った者である。
5イエスはこの十二人をつかわすに当り、彼らに命じて言われた、「異邦人の道に行くな。またサマリヤ人の町にはいるな。
6むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところに行け。
7行って、『天国が近づいた』と宣べ伝えよ。
8病人をいやし、死人をよみがえらせ、らい病人をきよめ、悪霊を追い出せ。ただで受けたのだから、ただで与えるがよい。
9財布の中に金、銀または銭を入れて行くな。
10旅行のための袋も、二枚の下着も、くつも、つえも持って行くな。働き人がその食物を得るのは当然である。
11どの町、どの村にはいっても、その中でだれがふさわしい人か、たずね出して、立ち去るまではその人のところにとどまっておれ。
12その家にはいったなら、平安を祈ってあげなさい。
13もし平安を受けるにふさわしい家であれば、あなたがたの祈る平安はその家に来るであろう。もしふさわしくなければ、その平安はあなたがたに帰って来るであろう。
14もしあなたがたを迎えもせず、またあなたがたの言葉を聞きもしない人があれば、その家や町を立ち去る時に、足のちりを払い落しなさい。
15あなたがたによく言っておく。さばきの日には、ソドム、ゴモラの地の方が、その町よりは耐えやすいであろう。
やさしい解説
ここでは、祈りによって送られた働き人が、その使命に送り出される具体的な場面が描かれます。「たたき出し・いやし・宣べ伝え」は、イエス様の愛の模写です。また、金品や手段に頼らず、神と人の信頼にゆだねる姿勢は、主に全面的に依存するクリスチャンの生き方の美しさです。
異邦人ではなく、まずは「イスラエルの家」に。これは神の救いがまずは選びの民に届くという神の計画に根ざしていますが、後には全世界へと広げられる壮大な使命の始まりでもあります。
奇跡の力と宣教の使命が一体となったこの派遣の場面は、教会の本質と使命を思い起こさせます。
「迫害への警告」(マタイ10:16-25、マルコ13:9-13)
16わたしがあなたがたをつかわすのは、羊をおおかみの中に送るようなものである。だから、へびのように賢く、はとのように素直であれ。
17人々に注意しなさい。彼らはあなたがたを衆議所に引き渡し、会堂でむち打つであろう。
18またあなたがたは、わたしのために長官たちや王たちの前に引き出されるであろう。それは、彼らと異邦人とに対してあかしをするためである。
19彼らがあなたがたを引き渡したとき、何をどう言おうかと心配しないがよい。言うべきことは、その時に授けられるからである。
20語る者は、あなたがたではなく、あなたがたの中にあって語る父の霊である。
21兄弟は兄弟を、父は子を殺すために渡し、また子は親に逆らって立ち、彼らを殺させるであろう。
22またあなたがたは、わたしの名のゆえにすべての人に憎まれるであろう。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
23一つの町で迫害されたなら、他の町へ逃げなさい。よく言っておく。あなたがたがイスラエルの町々を回り終らないうちに、人の子は来るであろう。
24弟子はその師以上のものではなく、僕はその主人以上の者ではない。
25弟子がその師のようであり、僕がその主人のようであれば、それで十分である。もし家の主人がベルゼブルと言われるならば、その家の者どもはなおさら、どんなにか悪く言われることであろう。
やさしい解説
イエス様は、弟子たちを「羊を狼の中に送るごとく」として送り出すと告げられました。だからこそ、「へびのように賢く、はとのように素直であれ」と導かれます(10:16)。これは、慎重さと誠意、力と柔和さが両立した証人の姿です。
また、迫害や拒絶、家族や仲間との衝突、あらゆる試練が待ち受けているとも宣告されます。それでも「最後まで耐え忍ぶ者は救われる」という言葉が、希望と強さを与えます(10:22)。
「恐れずにキリストを告白すべきこと」(マタイ10:26-33、ルカ12:2-9)
26だから彼らを恐れるな。おおわれたもので、現れてこないものはなく、隠れているもので、知られてこないものはない。
27わたしが暗やみであなたがたに話すことを、明るみで言え。耳にささやかれたことを、屋根の上で言いひろめよ。
28また、からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、からだも魂も地獄で滅ぼす力のあるかたを恐れなさい。
29二羽のすずめは一アサリオンで売られているではないか。しかもあなたがたの父の許しがなければ、その一羽も地に落ちることはない。
30またあなたがたの頭の毛までも、みな数えられている。
31それだか恐れることはない。あなたがたは多くのすずめよりも、まさった者である。
32だから人の前でわたしを受けいれる者を、わたしもまた、天にいますわたしの父の前で受けいれるであろう。
33しかし、人の前でわたしを拒む者を、わたしも天にいますわたしの父の前で拒むであろう。
やさしい解説
弟子たちに対し、イエス様は恐れずに語るよう励まされます。内に秘められていることも明るみに出し、耳打ちされた言葉を屋根の上で高らかに述べよと言われます(10:27)。この自由な語りは、真実の力に満ちています(10:26–27)。
また、「からだを殺しても、魂を殺せない者を恐れるな」という教えは、永遠への視点を与えてくれます(10:28–31)。神が雀でさえ見捨てられないのだから、私たちはもっと大切にされていると知ることができます(10:29–31)。
最後は、「人の前で私を受け入れる者を、天にいます父の前でも受け入れる」という約束に励まされます(10:32–33)。勇気と希望を届ける言葉です。
「イエスに従う者の心得について」(マタイ10:34-39、ルカ12:51-53,14:26-27)
34地上に平和をもたらすために、わたしがきたと思うな。平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである。
35わたしがきたのは、人をその父と、娘をその母と、嫁をそのしゅうとめと仲たがいさせるためである。
36そして家の者が、その人の敵となるであろう。
37わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりもむすこや娘を愛する者は、わたしにふさわしくない。
38また自分の十字架をとってわたしに従ってこない者はわたしにふさわしくない。
39自分の命を得ている者はそれを失い、わたしのために自分の命を失っている者は、それを得るであろう。
やさしい解説
イエス様は言われます。「平和ではなく、つるぎを投げ込むために来た」と。これは暴力ではなく、真実を伝えることがもたらす心の衝突を示しています(10:34–36)。家族の中でも信仰をめぐって分かれることがあるとされ、「私よりも家族を愛する者は、私にふさわしくない」と強く訴えられます(10:37–38)。
しかしそれは、愛が薄いからではなく、信仰の優先順位による自己犠牲の呼びかけです。「自分の命を得ている者は失い、私のためにそれを失う者は、それを得る」…この逆説は、主の愛に根ざした本当の生き方を示しています(10:39)。
「イエスを受け入れる者への報いについて」(マタイ10:40-42)
40あなたがたを受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。わたしを受けいれる者は、わたしをおつかわしになったかたを受けいれるのである。
41預言者の名のゆえに預言者を受けいれる者は、預言者の報いを受け、義人の名のゆえに義人を受けいれる者は、義人の報いを受けるであろう。
42わたしの弟子であるという名のゆえに、この小さい者のひとりに冷たい水一杯でも飲ませてくれる者は、よく言っておくが、決してその報いからもれることはない」。
やさしい解説
弟子たち、預言者、そして小さな者を受け入れることは、イエス様自身、そしてその背後にある神を受け入れることに等しい、と言われます(10:40–41)。信仰の小さなしるしにも心を向ける者には、その簡素な優しさにも報いが約束されています(10:42)。
「使徒派遣後の宣教の旅」(マタイ11:1)
1イエスは十二弟子にこのように命じ終えてから、町々で教えまた宣べ伝えるために、そこを立ち去られた。
やさしい解説
最後に、命じ終えたイエス様は町々で教え宣べ伝えるために去られました。神の使命を果たされたあとの静かな出発。その静かな一歩もまた、福音が広がる道しるべです
まとめ:見出しごとのやさしい解説一覧
| 見出し | やさしい要約 | 
|---|---|
| 群衆の困窮と働き人の必要 | 弱り果てた群衆への憐れみと共に、働き人を願い祈る心の原点 | 
| 十二使徒とその派遣 | イエス様から弟子たちへの権威と依存に基づく派遣の模範 | 
| 迫害への警告 | 世の逆風に耐える覚悟と、それでも救われる希望 | 
| 恐れずにキリストを告白すべきこと | 永遠の視点に立ち、真実を恐れず語る勇気 | 
| イエスに従う者の心得 | 信仰のために自己を超える優先順位の設定 | 
| イエスを受け入れる者への報い | 小さな優しさにも神のかたちを見る眼差し | 
| 使徒派遣後の宣教の旅 | 静かな出発も神の働きの続きとされる場面 | 
🪷やさしい解説まとめ
イエスさまは、群衆が「飼う者のない羊」のように迷い、傷つき、心がすり減っている姿をご覧になり、深く憐れまれました。
そして、「収穫は多いが、働き人が少ない」と語られ、弟子たちに祈るように勧められます。これは、ただの嘆きではなく、希望に満ちた呼びかけです。
そしてイエスさまは、十二弟子を呼び寄せて、癒しと宣教の使命を託されます。彼らは旅の備えも最小限に、「ただで受けたから、ただで与える」愛のかたちを生きるようにと送り出されます。
その道のりには、迫害や拒絶が伴います。でもイエスさまは言われます――
「恐れるな。あなたがたの髪の毛までも、数えられている。」
イエスさまを信じて歩むことは、時に痛みや孤独を伴うかもしれません。けれど、それ以上に大きな喜びと報いが、静かに約束されているのです。
🌼こどもたちへのメッセージ
イエスさまは、つかれている人たちを見て、心からかわいそうだと思いました。
それは、今のわたしたちのことも見てくださっているということです。
「だれかが、たすけてくれたらいいな」と思っている人のところへ、神さまは、あなたをおくるかもしれません。
イエスさまのことばをまもりながら、やさしさをもって、となりの人によりそっていきましょうね。
🎚️ 信仰のことば
「収穫は多いが、働き人が少ない。だから、収穫の主に願って、その収穫のために働き人を送り出すようにしてもらいなさい。」
――マタイ9章37~38節(口語訳)
🖼 原画アイキャッチ情報
【代替テキスト】
イエス・キリストが弟子たちの前に立ち、やさしいまなざしで語りかけている様子。弟子たちは色とりどりの衣をまとい、後ろ姿でイエス様の言葉に耳を傾けている。
【キャプション】
「群衆を見て深く憐れみ、弟子たちに語られるイエス様。『収穫は多いが、働き人が少ない。』――マタイ9:35-38」
🎨 らけるまの創作メモ|「働き人」を描こうとした日
この原画を描くとき、わたしは「イエスさまの言葉に真剣に耳を傾けている弟子たち」の背中に、そっと祈りを込めました。
見えないけれど、イエスさまの語る声、そこに流れる空気、そして弟子たち一人ひとりの胸のうちに響く「使命」が、観る人にも届きますようにと願って。
わたしたちも、どこかで誰かの「働き人」となれるのだと思います。
特別なことではなく、やさしく、まっすぐ、主のまなざしに応えて歩む、その一歩一歩が、収穫の畑での尊い働きになりますように。
📝この記事のまとめ
- イエスさまは困窮する群衆を深く憐れまれた
- 「収穫は多いが、働き人が少ない」と弟子たちに祈りを促された
- 十二弟子が選ばれ、癒しと宣教の使命を受けて派遣された
- 派遣には迫害も伴うが、「恐れるな」と励まされている
- 真実を語り、イエスさまを告白する者には報いがある
- 小さな行いも、主は見ていてくださる
🕊️ 結びの祈り
主イエスさま、
あなたが深くあわれまれた群衆の姿は、
今のわたしたちの心にも重なります。
疲れている人、傷ついている人、
道を見失っている人々の中に、
あなたのまなざしと福音の光が届きますように。
どうか、わたしたち一人ひとりが、
あなたに遣わされた「働き人」として、
静かに、まっすぐに歩む者とならせてください。
恐れではなく信頼を、
争いではなく平和を、
不安ではなく愛を携えて――
主の名によって、祈ります。
アーメン。
🔔 次回の予告
次回は、「バプテスマのヨハネの死」(マルコ6:14–29)を取り上げます。
真理のために生き、語り、命をかけたヨハネの姿――
その最期を通して、主に従う者の覚悟と、神のまなざしの深さに心を向けていきます。
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