🌱はじめに
受難週の静かな夜、イエスさまは最後の晩餐の席に弟子たちを迎えられました。ユダの裏切りを知りながらも、深い愛と静けさをもって、パンを裂き、杯を渡し、弟子たちの足を洗われた主。この記事では、過越の食事をめぐる出来事を、7つの場面に分けて心を込めてたどっていきます。
✨ イエスさまの足跡をたどる旅へ ✨
👉
前回の記事「【苦難の僕】イエス・キリストの預言」はこちらからご覧いただけます
📝この記事を読むとわかること
- 過越の食事の準備とその意味
- イエスが弟子たちに伝えた愛と模範
- 裏切りの予告に込められた深い主のまなざし
- パンと杯に託された新しい契約のしるし
📖この箇所の文脈|受難週の木曜日
前回は火曜日にイスカリオテ・ユダがイエスを裏切り、祭司長たちから銀貨30枚を受け取る場面を見ました。水曜日は「沈黙の日」とも呼ばれ、イエスの十字架への道を祈りつつ備える日とされます。そして今回は受難週の木曜日に過越の準備が行われ、金曜日にイエスと使徒たちは過越の食事の席に着きました。ここで何が語られ、なにが起こったのか――聖書の言葉を一緒にたどってみましょう。
🔍 ユダヤ時間についての補足 ユダヤの暦では、日没が一日の始まりとされています。そのため、私たちの感覚でいう「木曜日の夜」は、ユダヤ時間ではすでに「金曜日」となっています。つまり、過越の祭りの準備が日中の木曜日に行われ、その日の夕方(すなわちユダヤ時間の金曜日)に過越の食事が行われたという理解ができます。この時制をふまえることで、福音書の流れがより自然に受けとめられることでしょう。
🖼️原画:『過越の食事』(らけるま作)






🪷やさしい解説
主イエスが最後の晩餐で弟子たちと過ごされた時間は、苦しみと愛が交差する特別なひとときでした。この記事では、複数の福音書の記述を重ねながら、主の歩みとことばをやさしくたどっていきます。
「過越の食事の準備」ルカ22:7-13
過越の祭りを迎えるにあたり、イエスはペテロとヨハネに特別な指示を与えます。「水がめを運ぶ人について行きなさい」――それはまるで、神のご計画に導かれているような静かな印象です。弟子たちは言われたとおりに準備を整え、やがて主の食卓が整えられていきます。
「過越の食事」ルカ22:14-18
イエスは弟子たちと席に着き、心からの思いを語られます。「切に望んでいた」――この言葉に込められた主の愛は、死を目前にしてなお、弟子たちとの交わりを大切にされたことを教えてくれます。
「弟子たちの足を洗うイエス」ヨハネ13:1-11
食事の前、イエスは腰に手ぬぐいを巻き、弟子たちの足を洗われました。これは当時、もっとも低い者のなす行為。それを主が自らされたのです。ペテロは驚きますが、主のへりくだりは、わたしたちの心を清める愛のしるしです。
そして忘れてはならないのは、このときユダもそこにいたということです。イエスさまは、裏切ることがわかっていたユダの足も、他の弟子たちと同じように洗われました。責めるでも、遠ざけるでもなく、静かに仕える愛をもってユダに接されたのです。その姿には、わたしたちすべてに向けられた主のあわれみが映し出されています。
「模範を残されたイエス」ヨハネ13:12-20
足を洗い終えたイエスは、弟子たちに語ります。「わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたも互いにしなさい」――主は、行動をもって教えられました。弟子たちはその愛の模範を、心に刻んだことでしょう。
「裏切る者への警告」マルコ14:18-21
食卓の中、主は静かに語ります。「あなたがたのうちのひとりが、わたしを裏切ろうとしている」――弟子たちは心を騒がせ、問いかけます。主のことばは、裏切りを責めるためではなく、心を照らすための愛の警告でした。
食卓の中、主は静かに語ります。「あなたがたのうちのひとりが、わたしを裏切ろうとしている」――弟子たちは心を騒がせ、問いかけます。主のことばは、裏切りを責めるためではなく、心を照らすための愛の警告でした。
イエスは続けてこう言われました。「人の子は、自分について書いてあるとおりに去って行く。しかし、人の子を裏切るその人は、わざわいである。その人は生れなかった方が、彼のためによかったであろう」(マルコ14:21)――これはとても厳しいことばですが、怒りというより、深い悲しみと痛みが込められています。
主は、ユダが自ら選んだ道の悲惨さを、誰よりも知っておられました。だからこそ、このような嘆きをもって、最後のことばを語られたのでしょう。
それでも、イエスさまはユダを排除されることなく、足を洗い、パンを与え、悔い改めの機会を与え続けておられました。主のことばと沈黙、しぐさのすべてが、愛と招きに満ちていたのです。
「弟子たちにパンを与える」ルカ22:19
主はパンを取り、感謝をささげ、弟子たちに与えます。「これは、あなたがたのために与えるわたしのからだである」――この言葉は、新しい契約の始まりを告げるものです。
「ユダの裏切りの予告」ヨハネ13:21-30
ヨハネの福音書では、イエスがパンをひたしてユダに渡す場面が描かれます。夜が訪れ、ユダは席を立ちます。主の光の中から、ひとり暗闇へ向かう姿――それでも主は、最後までユダを愛しておられました。
この「愛しておられた」という言葉には、イエスの行動とご性質が映し出されています。ユダの足を洗い、席を共にし、パンを差し出された主。そのすべてに、拒絶や断罪ではなく、救いへと招く愛のまなざしが感じられます。パンを与えるという行為も、古代ユダヤ文化では特別な親しさと情愛を示すものでした。裏切りを知っていてもなお、イエスはユダを排除されませんでした。
「イエスは本当にユダを愛していたのか?」という問いは、同時に「主はわたしのような弱さをも、なお愛してくださるのか?」という問いへと導かれます。その答えは、主の沈黙としぐさの中に静かに息づいています。
🌼こどもたちへのメッセージ
イエスさまは、友だちのように弟子たちとごはんを食べ、足をあらってあげて、やさしく言葉をかけてくださいました。こわいことが待っていると知っていても、みんなを愛しぬいたイエスさまの気持ちを、わたしたちも大切にしたいですね。
🎚️弟子の告白
主よ、わたしの心には、アダムとエバの時から受け継がれた弱さがあります。ときに私利私欲に傾き、自分を中心に考えてしまいます。それでも、あなたの前に立ち止まり、御顔を仰ぎ見るとき、御霊の助けによって心が静まり、あなたに従いたいと願うのです。
完全ではなくとも、主よ、あなたの愛のうちにとどまらせてください。主よ、わたしの足をも洗ってください。わたしはあなたの愛を受けるにふさわしくない者ですが、あなたのもとにとどまりたいと願います。あなたの模範に従って、へりくだって仕える者となれますように。御国の希望を信じて歩みます。
🖼原画アイキャッチ情報
【代替テキスト】
過越の食事の準備、最後の晩餐、弟子たちの足を洗う場面、パンと杯の授与、ユダの裏切りの予告など、福音書の物語を7場面で描いた温かみのあるイラスト。
【キャプション】
主の愛とへりくだりが静かに伝わる「過越の食事」の連作。7場面の中に、私たちへの招きが込められています。
📌原画には、パブリックドメイン口語訳が含まれています。
https://j-bible.jimdofree.com/
🎨らけるまの創作メモ|愛をあらわす一夜を描こうとした日
受難週の中でも、木曜日の晩餐はとても大切な時間だと感じていました。イエスさまの静かな語りかけ、黙って足を洗う姿、裏切られることを知っていても与え続ける愛……そのすべてが、心の中に光を灯すようでした。祈るような気持ちで描きました。
📝この記事のまとめ
- 木曜日の夜、イエスは弟子たちと過越の食事をされた
- ペテロとヨハネが準備を整えた
- イエスは弟子の足を洗い、模範を示された
- 裏切りの予告があり、ユダにパンが与えられた
- パンと杯は新しい契約のしるしとなった
🕊️結びの祈り
主よ、あなたの静かな愛のことばに心を向けます。弟子たちのように迷いや弱さを持ちながらも、あなたの前に立ち、洗っていただきたいと願います。パンと杯を受けるその恵みに感謝し、あなたの愛に生きる者となれますように。この記事を読むすべての方が、主のまなざしに包まれますように。
🔔次回の予告
次回は、「主の晩餐」――その深い意味を、心静かにたどります。
📖この記事に関連する御言葉をもっと深く
イエスさまの御業やことばを、心静かにたどってみたい方へ。
テーマごとにまとめたカテゴリをご案内します。
きっと、あなたの今の歩みに寄り添う光が見つかりますように――
↓こちらからどうぞ:
🌱 癒し|病と心の回復🌊 奇蹟|自然を超えた行い
🕊️ 赦しと解放|罪と重荷の自由
📖 教えとたとえ話
👣 応答する人々
🛤️ イエス様の足跡をたどる旅|福音書に導かれる7つのステージ


コメント