🌱はじめに
ツァラアト――それはただの病ではありませんでした。
それは人々との交わりを断たれ、家族や共同体からも遠ざけられる、孤独と恥の象徴。
ある日、そのような状態にあったひとりの男性が、イエス様のもとへとひそかにやって来ます。
そして地にひれ伏し、ただひとこと、こう願いました。
「主よ。お望みなら、私をきよくしていただけます。」
イエス様は彼に手を差し伸べ、触れてくださったのです。
📌この記事を読むとわかること
- ツァラアトとは何か(旧約の背景)
- 当時の社会的・宗教的な隔離の実態
- イエス様が御手で触れた意味
- 隠れてでも来た男の信仰と勇気
- イエス様の癒しは誰にでも開かれていること
🖼️ 原画:『触れてくださるイエス様』(らけるま作)

🪷やさしい解説
ツァラアトとはどんな病だったのか?
旧約聖書のレビ記13章〜14章には、「ツァラアト」と呼ばれる皮膚の病についての規定が詳しく記されています。
それは現代の医学的な病気というよりも、「儀礼的に不浄」とされる状態のひとつで、感染や社会的な影響よりも、霊的な意味合いが強調されていました。
この病を負った者は、自ら「私は汚れています」と叫ばねばならず、町の外に住み、礼拝の共同体からも隔離されていました(レビ記13:45–46)。
レビ 13:45
患部のあるらい病人は、その衣服を裂き、その頭を現し、その口ひげをおおって『汚れた者、汚れた者』と呼ばわらなければならない。
レビ 13:46
その患部が身にある日の間は汚れた者としなければならない。その人は汚れた者であるから、離れて住まなければならない。すなわち、そのすまいは宿営の外でなければならない。
申命記24章には、姉ミリアムがツァラアトになったことを思い起こし、「祭司の教えに従いなさい」と戒める記述もあります。
それは、ただ体の問題ではなく、存在そのものを「遠ざけられたもの」として扱われるという、厳しい現実だったのです。
癒された男の、勇気ある一歩
イエス様の名が町に響きわたり、癒しの噂が広がる中、ひとりのツァラアトの人がこっそりと町へ近づいてきました。
律法では、人に見つかれば追い払われ、石を投げられることさえありました。
それでも彼は来ました。
「主よ、みこころでしたら、きよめていただけるのですが」
この言葉は、希望以上のものです。
「あなたなら、私をきよくできる」と信じていた証しです。
イエス様の御手が触れたとき
イエス様は彼を見て、すぐに手を伸ばし、触れて言われました。
「そうしてあげよう、きよくなれ」
その瞬間、彼の皮膚はきよめられ、ツァラアトは消え去りました。
当時、「触れる」ことは穢れを受ける行為とされていました。
しかしイエス様は、あえてその垣根を超えて「手を触れた」のです。
拒絶された人に、ぬくもりと受け入れをもって触れてくださったのです。
信仰が奇跡を引き寄せる
この人の癒しの背後には、「信仰」がありました。
見えない中でも、「主よ、あなたならできる」と信じたその心が、イエス様の御手を引き寄せたのです。
イエス様は、病を癒すだけでなく、隔てられていた人の心と存在そのものを回復する方です。
私たちが「自分はふさわしくない」と思うときでさえも、
イエス様は変わらぬ愛で、私たちに手を差し伸べてくださるのです。
🖼 原画アイキャッチ情報
🔠代替テキスト(alt)
ツァラアトの人がひざまずき、イエス様に癒しを求めて手を差し出している場面。イエス様はその手に優しく触れておられる。
📝キャプション
「主よ。お望みなら、私をきよくしていただけます」――隔離の中にいた男性が、信仰によって癒された瞬間(ルカ5:12-16より)
📌原画には、パブリックドメイン口語訳入っています。
🎨 らけるまの創作メモ|さわってはいけない人に、さわってくださった日
この絵を描こうと思ったのは、「触れてはならない」とされていた人に、イエス様があえて手を伸ばされたその出来事に、胸を打たれたからです。
ツァラアトの人――誰からも避けられ、声もかけてもらえないような状況の中で、「主よ、あなたなら…」という信仰をもって、そっと近づいてきたあの人。
イエス様はその人を拒まず、手を差し出し、しっかりと触れてくださったのです。
私は、この「触れる」という行為そのものが、奇跡だと思っています。
その御手にこめられた愛と、沈黙の中の赦しと、隔てを越える勇気を、静かに表現できたら――。そんな祈りをこめながら、描きました。
誰かの心にも、そっと寄り添う絵となりますように。
📝この記事のまとめ
- ツァラアトは社会的・宗教的な隔離を伴う「不浄」の状態だった
- 患者は律法に反してでもイエス様に近づいた
- イエス様は手を伸ばし、触れ、癒された
- 信仰が癒しを引き出した
- イエス様は今も、隔てられた人に近づいてくださる
🕊️結びの祈り
主イエスさま、
人から離され、心も閉ざされていたあの人に、あなたは手を伸ばしてくださいました。
私たちの中にある隠れた痛みや、
誰にも触れられたくないと思っていた部分に、
どうか、あなたの愛と癒しが届きますように。
信仰をもってあなたに近づくとき、
どうか、きよめと回復をもって私たちを包んでください。
あなたの御手は、今も私たちに触れてくださると信じます。
アーメン。
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