🌱はじめに
福音書に記されているイエスとある女性との出会いは、私たちに「信じる」ということの深さと、あわれみの広さを教えてくれます。
この物語に登場するのは、ユダヤ人ではなく、異邦人であるカナン人の女性――彼女のひたむきな信仰と、イエスの応答から、私たちは何を受け取ることができるのでしょうか。
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📝この記事を読むとわかること
- カナン人の女性とイエスの出会いの背景
- 異邦人への救いの希望
- 信仰の「姿勢」についての示唆
- 神のあわれみに信頼することの大切さ
🖼️ 原画:『カナン人の女の信仰』(らけるま作)


🪷やさしい解説
イエスはある日、ユダヤ人の地を離れ、弟子たちとともにツロとシドンの地方へ向かわれました。そこは異邦人の住む場所。これは、弟子たちに信仰について教える特別な機会でもありました。
そこに現れたのが、ひとりのカナン人の女性。彼女は、悪霊につかれた娘の癒しをイエスに求め、叫びます――「主よ、ダビデの子よ、あわれんでください」。
けれどイエスは、「わたしはイスラエルの失われた羊にしか遣わされていない」と語ります。
これは、イエスが父なる神の計画に忠実に歩まれている姿を示すものでした。
しかし、それでも彼女は引き下がりません。今度はただ「主よ、わたしをお助けください」と懇願します。
自分の立場ではなく、ただイエスのあわれみにすがったのです。
イエスはさらに試されるような言葉をかけます――「子どもたち(ユダヤ人)のパンを小犬(異邦人)に投げてやるのはよろしくない」。
それでも彼女は応じます。「でも、小犬も主人の食卓から落ちるパンくずをいただきます」。
彼女は自分はイスラエル人が受ける祝福を奪おうとしているのではなく、異邦人に用意されている祝福を求めているだけなのだ、と言ったのです。
この言葉に、イエスは応えられました――「あなたの信仰は立派です」。
彼女の娘は、その時いやされました。
異邦人にも、神の祝福といやしが届く。そのことは、アブラハム契約の中にも、そして十字架を通しての救いにも、はっきりと示されています。
私たちもまた、あわれみにすがる信仰をもって、神の御前に出てよいのです。
🌼こどもたちへのメッセージ
イエスさまは、わたしたちがどこの国の人でも、心から信じてたよるとき、ちゃんと聞いてくださいます。
小さなことでも、「たすけてください」とお祈りしていいんだよ。
🎚️ 信仰のことば
「主よ、わたしをお助けください」――マタイ15:25
🖼 原画アイキャッチ情報
【代替テキスト】
イエスと弟子たちの前にひざまずき、必死に願い求めるカナン人の女性。マタイ15章21〜28節の情景。
【キャプション】
「主よ、わたしをお助けください」――異邦人の女性が、娘の癒しを求めてイエスに近づき、信仰をもってひれ伏した場面(マタイ15:21-28)。
📌原画には、パブリックドメイン口語訳が含まれています。
🎨 らけるまの創作メモ|「あわれみを求める信仰」を描こうとした日
この絵を描くとき、私は何度もこの母親の表情を思い描きました。
プライドも立場もすべて投げ出して、ただ娘のために願い求める姿――そのひたむきさが、見る人の心にも届くようにと祈りながら筆を進めました。
イエスのあわれみは、境界を越えて、すべての人に注がれている。その真実をこの絵に込めました。
📝この記事のまとめ
- カナン人の女性は、イエスにあわれみを求めた
- 神のご計画に忠実なイエスは、異邦人にも心を向けられた
- 女性の信仰がイエスに認められ、娘は癒された
- 神の祝福はすべての人に開かれている
🕊️ 結びの祈り
主よ、
あなたのあわれみに、ただよりすがる私たちを、今日も受け入れてくださり、
心から感謝します。
信仰が弱くなるとき、
このカナン人の女性のように、
あなたにしがみつく力をお与えください。
どうか読んでくださったひとりひとりの心に、
癒しと平安と、希望が届きますように。
イエス・キリストの御名によって祈ります。
アーメン。
🔔 次回の予告
次回は、「耳も聞こえず、口のきけない人をいやす」(マルコ7:31-37)――主の力強い癒しと深い愛にふれる場面をご紹介します。
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