🌱はじめに
イエスが人々の願いにこたえて、ひとりの盲人を癒されたベツサイダでの出来事。その奇跡は、ただ一瞬で終わるものではなく、段階を経て完全な癒しに至るものでした。これは、私たちの霊的な成長や信仰の歩みにも深く重なります。ゆっくりと、しかし確かに、主は私たちの目を開いてくださるのです。
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📝この記事を読むとわかること
- マルコ8章の奇跡の流れと意味
- 二段階の癒しが示す霊的なメッセージ
- 信仰と霊的成長の関係
- イエスが私たちに与えてくださる完全な癒しへの希望
🖼️ 原画:『ベツサイダで盲人をいやす』(らけるま作)

🪷やさしい解説
イエスがベツサイダに着いたとき、人々は目の見えない男性を連れてきて、癒してほしいと願いました。イエスはその人の手を取り、村の外へと連れ出します。
この癒しの奇跡は、二段階で行われました。最初にイエスが目に手を当てると、その人は「人が木のように歩いている」と語ります。つまり、見えるようにはなりましたが、まだはっきりとは見えていませんでした。次に、イエスがもう一度目に手を当てると、彼の視界は完全に回復し、すべてのものがはっきりと見えるようになったのです。
この出来事は、霊的な目が開かれていく過程をも象徴しています。弟子たちも、イエスをメシアとして信じ始めていましたが、その理解はまだ不完全でした。本当に目が開かれるのは、聖霊が注がれたペンテコステのとき(使徒2章)です。
また、パウロはローマ人への手紙11章で、やがてイスラエルの人々すべての霊の目が開かれる時が来ることを語っています。私たちも、今はまだおぼろげに主を見ているにすぎませんが、やがて顔と顔を合わせて見るその日が来るのです(1コリント13:12)。
🌼こどもたちへのメッセージ
イエスさまは、すぐに全部が見えるようにはせず、少しずつ見えるようにしてくれたんだよ。わたしたちの心も、だんだんとイエスさまのことがよくわかるようになるんだ。あきらめずに、イエスさまを信じていこうね。
🎚️ 信仰のことば
「わたしたちは、今は、鏡に映して見るようにおぼろげに見ている。しかしその時には、顔と顔とを合わせて、見るであろう。」(1コリント13:12)
🖼 原画アイキャッチ情報
【代替テキスト】
イエスがベツサイダで盲人の目に手を当て、癒している場面を描いたイラスト。周囲には弟子たちや村の人々が見守っている。右上にはガリラヤ湖周辺の地図が描かれている。
【キャプション】
イエスは人々の願いを受けて、ベツサイダでひとりの盲人を癒しました。段階を経て見えるようになっていくこの癒しの出来事は、私たちの信仰の歩みにも似ています――はじめはぼんやりと、やがてはっきりと主の働きを見ていけるように。
📌原画には、パブリックドメイン口語訳が含まれています。
🎨 らけるまの創作メモ|ゆっくりでも、確かに見えてくる日
この場面を描くとき、私は「すぐにすべてが見えるようにはならなかった」というところに心を留めました。私たちも、信じたその日からすべてがわかるわけではありません。でも、イエスさまがともにいてくださり、少しずつ目を開いてくださるのです。そんなやさしさを、この絵に込めました。
📝この記事のまとめ
- ベツサイダでの癒しは、二段階の奇跡として描かれている
- 霊的な目が開かれる過程の象徴でもある
- 私たちの信仰も、少しずつ成長し、やがて完全に主を見る日に至る
- 神の働きは、ゆっくりでも確かに進んでいる
🕊️ 結びの祈り
主よ、今はまだおぼろげにしか見えなくても、あなたの手の中で少しずつ心の目が開かれていくことを信じます。ときに見えないことに不安を覚える私たちに、あなたのやさしさと導きを注いでください。どうか読むひとりひとりの信仰の歩みを祝福し、確かな光の中へと導いてくださいますように。
🔔 次回の予告
次回は「ペテロの信仰告白」マタイ16・13-20――弟子たちの理解が深まっていく歩みを、次回ご一緒にたどりましょう。
📖この記事に関連する御言葉をもっと深く
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