ナザレの丘で拒まれたイエス様 ― 故郷で語られた救いのことば

茶色を基調とした温かな色合いの中で、イエス・キリストがナザレの人々に語りかける場面。左側には真剣な表情で聞く人々、右側には落ち着いた表情のイエス様の姿。 教えとたとえ話|心に届くことば

🌱はじめに(導入文)

イエス様が最初に福音を語られたのは、ご自身が育った町、ナザレでした。
けれども、そこで人々が見せたのは、信仰でも感動でもなく、怒りでした。
愛によって差し出された救いのことばが拒まれる――その場面を、今静かに見つめてみましょう。


📝この記事を読むとわかること

  • イエス様がナザレで語られたメッセージの意味
  • 人々がなぜ怒りに満ちたのかという背景
  • 原画に込められた祈りと創作のこころ
  • 私たちが心を開くためにできること

🖼️ 原画:『ナザレで語られるイエス様』(らけるま作)


🪷やさしい解説

イエス様はガリラヤで多くの人々に歓迎され、教えと奇跡をもって歩まれていました。
しかしナザレ――育った町に戻られたとき、会堂で語られた真理のことばに、人々は心を閉ざしました。

「預言者は自分の郷里では歓迎されない」

イエス様は、選ばれた民の中にこそ、恵みが留まらずに異邦人に向けられることを示されました。
それが、ナザレの人々の誇りや期待を裏切ることとなり、彼らの心に怒りが燃え上がったのです。

イエス様がナザレの会堂で語られた言葉に、人々は激しい怒りを抱きました。
それは、自分たちが特別だと思っていた期待が打ち砕かれたように感じたからかもしれません。
その怒りはついに、イエス様を町の外へ追い出し、崖から突き落とそうとするほどに燃え上がってしまいます。

けれども、イエス様は恐れることなく、その怒りのただ中を「通り抜けて、去って行かれた」と聖書は語ります。
誰を責めるでもなく、ただ静かに、平和の道を歩み続けられたイエス様の姿は、
「愛とは何か」「強さとは何か」を、今も静かに語りかけてくれます。

怒りや拒絶が渦巻く時代にあっても、
イエス様の歩みは、私たちにやさしく、まっすぐな光を照らしているのです。


🖼 原画アイキャッチ情報

【代替テキスト】
1枚目:会堂で巻物を朗読するイエス・キリスト。人々が静かに見守っている。

2枚目:イエス・キリストが人々に囲まれ、怒りをあらわにする群衆に町の外へ引き出されていく場面。

【キャプション】
1枚目:静かなことばの中に、天の光が差し込む――
イエス様は故郷ナザレの会堂で、ご自身の使命と福音の始まりを宣言されました。

2枚目:憎しみに囲まれてもなお、歩みを止めないイエス様――
拒絶のただ中を、静かに通り抜けられたその姿に、深い憐れみと力が満ちています。

📌原画には、パブリックドメイン口語訳入っています。


🎨 らけるまの創作メモ

「語られる光」を描こうとした日

聖書を読むイエス様の姿を描くとき、「光のような沈黙」を思い浮かべていました。
誰かの心に届こうとする言葉、それが受け入れられないとしても、その言葉の中に宿る神の愛は変わらない。
この絵は「語る」というより、「灯す」ことのような、そんな静けさを描こうとした1枚です。

「怒りの中を通られた方」を描こうとした日

この絵を描いていた日、心がざわつくようなニュースが続いていて、人の怒りの強さに打たれていました。
でもイエス様は、怒り返さず、何も言わず、ただ人々の間を通って去って行かれた…。
この姿に、まことの平和のあり方を教えられるようでした。
だから、怒りに囲まれていても、イエス様の顔だけは静かで優しく描くことを心がけました。


📝この記事のまとめ

  • イエス様はナザレで、ご自身の使命を明らかにされた
  • 人々はそのことばを受け入れられず、怒りに満ちた
  • それでもイエス様は、憎しみに答えず、静かに去られた
  • この場面は、信じることと心を閉ざすことの対比を映している
  • 私たちも、どんな心の状態で神のことばに向き合うかが問われている

🕊️ 結びの祈り

主イエスさま、
あなたが語られた真理が、どれほど人の心を揺さぶるものであったか、
そして拒まれながらも、なお愛をもって歩まれたあなたの姿を思います。
どうか、私たちの心にもそのことばがまっすぐ届きますように。
怒りに満ちるこの世にあっても、あなたの静けさを、私たちの内に宿らせてください。
信じる勇気と、歩み続ける力を、今日も与えてください。
アーメン。

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きっと、あなたの今の歩みに寄り添う光が見つかりますように。

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