🌱はじめに
旅を続けていたイエスは、異邦人の地――デカポリスへと足を運ばれました。
そこで出会ったのは、耳が聞こえず、話すことができないひとりの男性。
イエスはその人をそっと人々の中から連れ出し、優しくふれて、祈りのことばを語ります。
「エパタ――開け」と。
今日の物語は、静かな奇跡の中に流れる、深いあわれみと愛を描いています。
✨ イエスさまの足跡をたどる旅へ ✨
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前回の記事「カナン人の女の信仰」はこちらからご覧いただけます
📝この記事を読むとわかること
- イエスが異邦人の地で行われた癒しの出来事
- 耳と口が癒された順序と意味
- イエスの奇跡に込められた、ひとりの人への深いあわれみ
- 群衆の反応と、異邦人たちの信仰の芽生え
🖼️ 原画:『耳が聞こえず、口のきけない人をいやす』(らけるま作)

🪷やさしい解説
イエスはガリラヤ湖の東、デカポリス地方を訪れました。
ここは異邦人の土地で、当時のユダヤ人にとっては信仰的に“境界の外”とされる場所です。
イエスがこの地に来られたことには、神の愛が国や民族を越えて注がれていることがあらわれています。
人々は、耳が聞こえず、口のきけない男性をイエスのもとに連れて来て、癒していただきたいと願いました。
イエスは彼を人々の中から連れ出し、使徒たちが見守る中静かに寄り添うようにして、耳に触れ、舌に触れ、「エパタ(開け)」と語りかけます。
その瞬間、彼の耳は開き、舌のもつれも解けて、はっきりと話せるようになったのです。
この癒しは、単に「奇跡の力」を見せるためではなく、ひとりの人に向けたあわれみのしるしでした。
イエスのまなざしは、群衆ではなく、その人自身をしっかりと見つめておられたのです。
言葉を発することができた彼の人生は、この日から大きく変わったことでしょう。
この出来事を見た人々――異邦人でさえも、「すばらしいことだ」と神をあがめました。
イエスのあわれみは、すべての人に開かれています。
🌼こどもたちへのメッセージ
イエスさまは、声が出せなかった人のことを、そっと連れ出して、やさしく耳と口にふれてくださいました。
「ひらけ」と言われたとき、きっとその人の心の中も、パッとあかるくなったのだと思います。
イエスさまは、わたしたちが困っているとき、ちゃんと見ていてくださるやさしいお方です。
🎚️ 信仰のことば
「エパタ(開け)」――その一言は、耳と口、そして心をも開く、神のあわれみのことばです。
🖼 原画アイキャッチ情報
【代替テキスト】
イエスが耳の聞こえず話せない人に手を触れ、癒している場面。周囲には使徒たちだけが見守っており、背景にはガリラヤ地方の地図が描かれている。
【キャプション】
「開け」と言われたとき、閉ざされていた耳も心も開かれました――イエスの優しい奇跡のひととき(マルコ7:31–37)
📌原画には、パブリックドメイン口語訳が含まれています。
🎨 らけるまの創作メモ|「開け」と言われた日
この原画を描いたとき、心に浮かんだのは「やさしさは静かに届く」ということばでした。
イエスは大声ではなく、そっとふれ、そっと祈り、そっと語られました。
癒しが起こったのは、誰の目にも見える奇跡でしたが、その中にある「個人への深いまなざし」を描きたいと思いました。
手を伸ばしてくれるイエスのぬくもりが、見る人の心にも届きますように。
📝この記事のまとめ
- イエスは異邦人の地で、耳と口がふさがれた男性を癒された
- 癒しの行為は、あわれみに満ちた個人的な関わりだった
- 「エパタ(開け)」のことばが、心の扉までも開いた
- 異邦人たちもこの奇跡を目の当たりにし、神をあがめた
🕊️ 結びの祈り
主イエスさま、
あなたの御手がふれたとき、ふさがれていた耳が開かれ、話すことのできなかった口が喜びで満たされました。
私たちの心にも、ときにふさがれてしまう場所があります。
「エパタ――開け」と、どうか語りかけてください。
あなたのあわれみが、今日も私たちひとりひとりに届いていることに感謝します。
このページを訪れたすべての人が、あなたのやさしさに気づき、心を開かれますように。
アーメン。
🔔 次回の予告
次回は「四千人に食物を与える」(マルコ8:1–10)――
空腹の群衆にパンと魚を分け与える、主の深い思いやりをご一緒に見つめていきましょう。
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きっと、あなたの今の歩みに寄り添う光が見つかりますように――
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