🌱はじめに
イエスさまは、ご自身の故郷ナザレを訪れます。
そこは育ち、家族とともに過ごした、懐かしい町。しかし、そこで彼を待っていたのは、あたたかい歓迎ではなく、冷たいまなざしと心の拒絶でした。
今回は、マルコの福音書6章から、イエスさまの「ナザレ再訪問」の場面を見つめていきましょう。
✨ イエスさまの足跡をたどる旅へ ✨
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前回の記事「目の見えない人と、口のきけない人をいやした日」はこちらからご覧いただけます
📝この記事を読むとわかること
- イエスさまが故郷でどのように受け入れられなかったか
- なぜ人々はイエスさまを信じようとしなかったのか
- 「預言者は、家では敬われない」という意味
- 信仰と不信仰がもたらす違い
🖼️ 原画:『ナザレ再訪問』(らけるま作)

🪷やさしい解説
イエスさまは弟子たちとともに、ご自身の故郷ナザレを訪れました。
そこで安息日、いつものように会堂で教えを始めると、人々はその知恵と語り口に驚きました。
「この人は、これらのことをどこで習ってきたのか。
この人の授かった知恵はどうだろう。
このような力あるわざが、その手で行われているのは、どうしてか。」
それは、イエスさまの教えが明らかに神から来たものであることを感じたからです。
しかし――人々の心には、別の感情が芽生えていました。
「この人は、大工ではないか。マリヤの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟じゃないか?
その姉妹たちも、私たちとここにいるではないか。」
ナザレの人々にとって、イエスさまは「よく知っている人物」でした。
あまりにも近く、あまりにも身近だったのです。
そのため、人々は「神の子」としてのイエスさまを信じることができず、かえってつまずいてしまいました。
イエスさまは深く嘆かれ、「預言者は、自分の郷里、親族、家以外では、どこででも敬われないことはない」と語られました。
本当のことを語っても、それが「身近な人」からだと、人は耳を閉ざしてしまうことがあるのです。
その結果、イエスさまはそこで大きな奇跡を行うことができず、ただ少数の病人に手を置いて癒されたのみでした。
それは、イエスさまに力がなかったからではなく、人々の不信仰が神の働きを妨げていたのです。
実は、ナザレでは以前にも、イエスさまが人々に福音を語ったとき、「この男を突き落とせ」と言って崖まで追いつめられたことがありました(ルカ4:14-30)。
それでも、イエスさまはふたたびナザレを訪れ、語り続けました。
愛のゆえに、あきらめず、拒まれてもなお、神のことばを届けようとされたのです。
このように、イエスさまのご生涯には、拒まれる愛の痛みと、それでも語りつづける強さがしっかりと刻まれています。
それは、私たちが誰かに理解されない時にも、静かに寄り添ってくれるお姿でもあります。
🌼こどもたちへのメッセージ
イエスさまは、自分の町にもどったけれど、みんなが「この人が?」といって、信じようとしませんでした。
だけど、イエスさまはそれでも、あきらめませんでした。ほかの町へ行って、また人々に神さまのことを伝えつづけたのです。
わたしたちも、だれかにわかってもらえないとき、イエスさまを思い出してね。
🎚️ 信仰のことば
「預言者は、自分の郷里、親族、家では敬われない」
――マルコの福音書 6章4節
🖼 原画アイキャッチ情報
【代替テキスト】
イエスが故郷ナザレの会堂で教えている場面。イエスを囲むように人々が座り、驚いた表情や懐疑的なまなざしを向けている。中央にはイエスが教えている姿が描かれ、聖書の言葉が背景に並ぶ。
【キャプション】
ナザレで教えるイエスさま。しかし、人々はその知恵と力に驚きながらも、身近な存在であるがゆえに信じることができませんでした。「預言者は、自分の郷里では敬われない」――信仰と不信仰が交錯する、静かな福音の風景です。
📌原画には、パブリックドメイン口語訳が含まれています。
🎨 らけるまの創作メモ|心の壁にふれる福音を描こうとした日
この絵を描いたとき、「イエスさまの気持ちって、どんなだったんだろう」と静かに想いを巡らせました。
故郷で、知っている人々から受け入れられないというのは、きっと悲しいことだったでしょう。
でも、イエスさまはそこにとどまらず、次へ進んでいかれました。
福音は、拒まれることがあっても、決して止まらない――そのことを、描きながら自分にも言い聞かせていたように思います。
📝この記事のまとめ
- イエスさまは弟子たちとともにナザレを訪れた
- 人々はその知恵に驚いたが、「大工の子」として受け入れなかった
- 故郷では、信仰のなさのために奇跡が少なかった
- イエスさまは「預言者は故郷で敬われない」と語られた
- それでもイエスさまは、教えることをやめなかった
🕊️ 結びの祈り
主イエスさま、
あなたが傷ついた場所でも、愛をもって語り続けられたことを、心から感謝します。
わたしたちも、ときに身近な人から受け入れられず、戸惑うことがあります。
けれど、あなたのまなざしを思い出し、誠実に語りつづける力をください。
どうか、かたくなな心がやわらぎ、福音の光が届いていきますように。
アーメン。
🔔 次回の予告
「三度目のガリラヤ宣教」マタイ9:35-11:1
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