🌱 はじめに
夜の暗闇の中で、ひとすじの光が闇を裂くように、イエスの語る言葉は私たちの心を照らします。ヨハネ8章の物語は、ただ過去の出来事ではなく、今を生きる私たちにも深く問いかけてきます。
「私は世の光です」「真理による自由」「アブラハムが生まれる前からわたしはいる」――この一連の語りかけを通して、主が私たちをどこへ導こうとされているのか、一緒に歩んでみませんか。
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📝 この記事を読むとわかること
- ヨハネ8章12‑59節におけるイエスの主要な語りかけの構成と意図
- 各場面(4つのテーマ)をやさしく、現代の読者にも心に響くように読み下す
- 子どもや信仰初心者にも伝わるメッセージ
- 原画に込めた意味や意図、創作者の思い
📖 この箇所の文脈|ヨハネ福音書 第8章の流れ
ヨハネによる福音書8章は、イエスがエルサレムの神殿で人々と語る場面が中心です。
典拠的には、前の章(ヨハネ7章)から続く文脈ですが、特にイエスと律法学者・ユダヤ人たちとの対立・対話が焦点です。イエスは、自らを「光」として宣言し、信じる者に「自由」をもたらし、さらに「私はある」という存在の根拠を語られます。
この章では、彼を信じようとする人々と、疑いや反発を抱く人々との間に交わされる緊張が描かれています。
また、「あなたがたはアブラハムの子孫だ」というユダヤ人の主張を、イエスは「もしあなたがアブラハムを本当に受け継ぐならば、彼の歩んだ道と約束をあなた自身の生き方として示せ」と応答します。
彼が「アブラハムよりも先にある」という表現を用いることで、神性を示唆し、最終的には石を投げようとする者たちから逃れて去る場面で章が閉じられます(ヨハネ8:59)。
このような対話と宣言の流れを理解したうえで、原画で表された各場面を見つめてみましょう。
🖼️ 原画:『ヨハネ8章の光と対話』(らけるま作)





🪷やさしい解説
1. 「わたしは世の光です」ヨハネ8:12–20
イエスは神殿で人々に語られました。
「わたしは世の光です。わたしに従う者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光を持つであろう」と。
この言葉は、ただ「明かり」のような存在を意味しているのではありません。
人生の道を照らす、永遠のいのちへと導く光――それがイエスご自身なのです。
律法学者たちは、「あなたは自分で証しているから信用できない」と言いました。
しかしイエスは、「わたしはどこから来て、どこへ行くのかを知っている」と応えます。
その証しは、神から来たものであり、真実です。
「光に従う」とは、イエスのことばを信じて歩むこと。
その一歩一歩が、命の光の中にある道へと続いていきます。
2. 「父なる神のことを話す」ヨハネ8:21–30
イエスは人々に言われました。
「わたしは去って行く。あなたがたはわたしを捜し求めるが、罪のうちに死ぬであろう」と。
この言葉は厳しく聞こえるかもしれませんが、
それは「悔い改めて、いのちに至る道を選びなさい」という深い愛の呼びかけでもあります。
人々は「彼はどこへ行くというのか?」と問います。
イエスは答えます――「あなたがたは下から来た者、わたしは上から来た者」。
そして、「わたしは父から遣わされ、父が教えてくださったことを語っている」と静かに語られました。
この箇所には、イエスと天の父との深いつながりと、
その言葉を信じる者に対する希望の光がにじんでいます。
3. 「真理による自由と悪魔に対する束縛」ヨハネ8:31–47
イエスは、彼を信じたユダヤ人たちに言われました。
「もし、わたしの言葉にとどまるなら、まことにわたしの弟子である。
あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にする」。
ここで語られる「自由」とは、
ただ束縛から解放されることではなく、
罪と偽りから解き放たれ、神と共に生きる道を歩む自由です。
人々は「自分たちはアブラハムの子孫である」と反論しますが、
イエスは「もしそうなら、アブラハムのように神に従ったはず」と答えます。
さらに、イエスは「あなたがたは父なる神から来た者ではなく、偽りの父から来た者」とまで言われます。
これは、表面的な信仰と、心から神を愛する生き方との違いを、
厳しく、しかし真実の愛をもって指摘された場面です。
4. 「アブラハムが生まれる前からわたしはいる」ヨハネ8:48–59
ユダヤ人たちは、「あなたはアブラハムより偉いのか?」と問い詰めました。
それに対してイエスは言われます。
「まことに、まことに、あなたがたに言う。アブラハムが生まれる前から、わたしはいる」。
この「わたしはいる(I AM)」という言葉は、
モーセに現れた神が「わたしはある(I AM)」と名乗られたことを思い起こさせます。
イエスは、ご自身が神であることを、ここではっきりと示されたのです。
この言葉に人々は激しく反発し、石を取って打とうとしますが、
イエスは身を隠して、その場を去られます。
イエスの「わたしはいる」という宣言は、
今も変わらず私たちの人生に響きます。
神の永遠の光と臨在に、心を静めて向けましょう。
🌼 こどもたちへのメッセージ
暗い夜に、小さなろうそくでも灯ると、目の前が明るくなりますね。イエスのおことばは、そのろうそくのように、あなたの心にも明かりをともしてくれます。
「光に歩む」「本当の自由」「私はいまここにいる」という言葉は、どんなときにも話しかけてくれます。こわがらずに、その光を見つめてください。
🎚️ 信仰のことば
「主よ、あなたの光を歩む者とし、あなたの真理を信じ従う者とさせてください。闇に揺れる心を照らし、自由のいのちへと導いてください。」
🖼 原画アイキャッチ情報
【代替テキスト】
イエスの語ることばを聞き入る群衆と、驚き・疑いを抱く人々。背景には様々な場面(光・自由・永遠)が重層的に表現されている。
【キャプション】
暗と光、信じる心と疑いの心。ヨハネ8章の語りかけは、今も私たちの内側を見つめています。
🎨 らけるまの創作メモ|「闇の中の光を描こうとした日」
このシリーズを描くとき、私の心には「見えない光」がずっと在りました。光は目に見えませんが、確かに暗を打ち破ります。
私は、イエスの語る言葉が言葉としてだけではなく、「色」や「陰影」「対比」としても伝わるようにと願いながら筆を進めました。
「闇の中の光」は暗さがあるからこそ際立ちます。私たちの心の闇の中にあっても、主のことばは静かに輝いていますように――その思いを、線や色で紡ぎました。
📝 この記事のまとめ
- ヨハネ8章は、イエスが光・自由・永遠性を語る場面を通して、信じる者を新しいいのちに招く章である
- 4つの見出し(光、父なる神、真理と自由、永遠の「わたしはいる」)それぞれが、私たちの信仰の柱となる言葉
- 真理を語る者としてのイエスの力と存在性は、時代を超えて私たちにも働きかけている
- 原画には、言葉だけでなく、光と闇、色と形によってメッセージを伝えようとする意図がある
🕊️ 結びの祈り
天の父なる神さま、
あなたの光が暗闇の中を貫き、あなたのことばが真実と自由をもたらすことを感謝します。
どうか、このヨハネ8章の語りかけを通して、私たちの心に新しい目を与えてください。
光に歩む勇気を、真理を知る知恵を、そして永遠に「わたしはいる」と語られる主との交わりを、今も与えてください。
私たちを導き、守り、愛で満たしてください。
主イエス・キリストのお名前によって、祈ります。アーメン。
🔔 次回の予告
次回は、「安息日に生まれつきの盲人をいやす」ヨハネ9・1‑41 —— 主の癒しの力が闇の中の目を開く物語を、ともに味わいましょう。
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