🌱はじめに
天が開かれ、霊に導かれた使徒ヨハネの目に映る、神の御座と礼拝の光景――
それは、すべての命が造り主をあがめる、永遠の賛美の場でした。
この壮麗な幻を通して、私たちもまた天の礼拝に心を向けてみましょう。そこには、時を越えてつながる神の家族の姿があります。
📌この記事を読むとわかること
- 黙示録に描かれた「天の礼拝」の情景とは
- 二十四人の長老と四つの生き物の意味
- 日々の礼拝生活における黙想のヒント
- 私たちが捧げる賛美の重みと喜び
🖼️原画:『天での光景と長老たちの礼拝』(らけるま作)

代替テキスト:「天の光景と長老たちの礼拝」というタイトルの日本語の縦書き聖書朗読イラスト。天の御座とそれを囲む二十四人の長老、生き物たちの姿、そして礼拝の場面が描写されている聖書の一節。
キャプション: 天における礼拝の光景――神の御座を中心に、二十四人の長老と生き物たちが感謝と賛美をささげる、黙示録の壮麗なビジョン。
【備考】
📌原画には、パブリックドメイン口語訳が含まれています。
🪷やさしい解説
天が開かれ、御座が現れる
ヨハネが見たのは、碧玉や赤めのうのように輝く御座と、それを囲む虹。
神の臨在の前では、ことばでは言い尽くせない光と栄光があふれていました。
二十四人の長老たち
ヨハネが見た御座のまわりには、白い衣をまとい、金の冠をかぶった二十四人の長老たちが座っていました。
この長老たちは、携挙された普遍的教会の代表であると多くの解釈で受け止められています。
その根拠の一つは、黙示録6章以降に「教会」という言葉が登場しないことです。これは、患難時代に入る前に教会がすでに天に携え上げられていることを示していると理解されています。
また、旧約時代の義人――たとえばバプテスマのヨハネのような人々――は、キリストの再臨後、千年王国が始まる前に復活する(黙示録20:4)とされており、この時点での御座の周りにはいないと考えられます。
バプテスマのヨハネ自身も「そのくつのひもを解く値打ちもない」(ヨハネ1:27)と言い、イエスを花婿、そして自らをその僕・友人の立場として表現しています(ヨハネ3:29)。つまり、彼は花嫁である教会の一員ではなく、別の立場にあります。
一方で、二十四人の長老は白い衣と冠(ステファノス)を与えられた者たち――これは忠実な信仰に対する報いを象徴しています。彼らは冠を御座の前にささげ、「すべての栄光は主に」と告白するのです。
このように、彼らはキリストにあるすべての教会時代の聖徒たちの象徴としてふさわしい存在であり、そこには当然、聖霊降臨以後に召された十二使徒たちも含まれています。
彼らは初代教会の柱であり、黙示録21:14では天の都の土台に名が記されていることからも、その象徴的役割が明らかです。
四つの生き物と絶え間ない賛美
それぞれ異なる顔と六つの翼を持つ生き物たち。昼も夜も休むことなくこう叫びます。
「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、全能者にして主なる神。昔いまし、今いまし、やがてきたるべき者」。(黙示録4:8)
この賛美は、神の完全さ、永遠性、そしてすべての被造物の主であることを表しています。
礼拝とは何か
黙示録のこの場面は、未来の出来事であると同時に、今も霊においてなされている天の礼拝の一端を垣間見せてくれます。
私たちがこの地でささげる賛美と祈りも、やがてこの永遠の礼拝に加えられていくのです。
🕊️結びの祈り
主よ、
あなたの御座は栄光に輝き、
すべての造られたものがあなたをたたえています。
どうか私の心も、日々あなたを見上げ、
感謝と賛美を絶やさずに歩むことができますように。
冠を投げ出すようなへりくだりと、
聖なるあなたへの愛と敬いを、
私のうちに育ててください。
アーメン。
📝この記事のまとめ
- 黙示録4章は、天での礼拝のビジョンを描いている
- 二十四人の長老は、携挙された教会の象徴とされる
- バプテスマのヨハネの立場や再臨後の復活との対比からも明らか
- 四つの生き物は昼も夜も神をたたえる
- 私たちの賛美も、天の礼拝に連なる喜びに満ちたもの
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