第7回:ラオデキヤの教会――生ぬるさの警告と招き

金色の光に包まれたキリストが七つの燭台の中に立ち、右手に星を持ち、正面を見つめている様子。「ラオデキヤの教会 生ぬるさの警告と招き」という文字が右側に表示されている。 ヨハネの黙示録

🌱 はじめに

ラオデキヤの教会に向けた主のことばは、霊的に「生ぬるい」信仰の危うさを警告するものです。しかし同時に、主は戸の外に立って「叩いている」と語られ、わたしたち一人ひとりへの愛と希望に満ちた招きを与えてくださっています。

📜 7つの教会と教会史における7つの時代

教会名象徴する時代特徴
エペソ使徒時代(紀元30〜100年)正統的な教理があるが、最初の愛から離れた教会
スミルナ迫害時代(1〜4世紀)苦しみに耐える信仰の教会
ペルガモ国家教会時代(4〜5世紀)妥協や寛容の中での信仰生活
テアテラ暗黒時代(6〜15世紀)誤った教理を許容した忍耐深い教会
サルデス宗教改革時代(16〜17世紀)外見上は生きているが霊的に死んでいた教会
フィラデルフィア大宣教時代(18〜19世紀)忠実な宣教と兄弟愛にあふれた教会
ラオデキヤ背教時代(20世紀〜現代)生ぬるく、キリストを締め出してしまった教会

🗺️ 地図で見る「七つの教会(ラオデキヤ)」の旅路

主イエスがパトモス島にいたヨハネを通して語られた「七つの教会への手紙」は、小アジア(今のトルコ西部)を舞台にしています。
この地図を見ると、それぞれの教会がローマ街道に沿って順に置かれていることがわかります。

黙示録に記された7つの教会が位置するアジア地方の地図。エペソをはじめ、スミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、フィラデルフィア、ラオデキヤの街が十字架のマークで示されている。
パトモス島にいたヨハネから始まり、ローマ街道に沿って伝えられた「7つの教会」への手紙。その第一歩が「エペソ」から始まり次にフィラデルフィアからラオデキヤの教会に進みます。

📍 地理・背景

ラオデキヤはフィラデルフィアから約65キロメートル南東に位置する裕福な町。小アジア南西部、交易と金融で栄えた裕福な都市でした。目薬の生産や織物業でも知られ、自給自足が可能な町としての誇りがありました。しかしその物質的な豊かさが、霊的な鈍さを招いていたのです。

  • この教会は、「背信の教会」の型です。
  • 年代的には、1900年から現代に至るまでの期間です。
  • 主イエスを締め出している教会、終わりの時代の教会です。
  • 生ぬるく、役に立たない教会
  • 自由主義神学の教会
  • エキュメニカル運動の教会
  • 建物や富を誇り、霊的貧しさに気づいていない教会
  • この世の楽しみや成功に関心が向かい、キリストが締め出されている教会
  • ラオデキヤとは、「人々が支配する」という意味です。

📖 聖書本文(黙示録3章14~22節)

※聖句にはパブリックドメインである口語訳聖書を引用しています。

黙 3:14 ラオデキヤにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。『アァメンたる者、忠実な、まことの証人、神に造られたものの根源であるかたが、次のように言われる。

黙 3:15 わたしはあなたのわざを知っている。あなたは冷たくもなく、熱くもない。むしろ、冷たいか熱いかであってほしい。

黙 3:16 このように、熱くもなく、冷たくもなく、なまぬるいので、あなたを口から吐き出そう。

黙 3:17 あなたは、自分は富んでいる。豊かになった、なんの不自由もないと言っているが、実は、あなた自身がみじめな者、あわれむべき者、貧しい者、目の見えない者、裸な者であることに気がついていない。

黙 3:18 そこで、あなたに勧める。富む者となるために、わたしから火で精錬された金を買い、また、あなたの裸の恥をさらさないため身に着けるように、白い衣を買いなさい。また、見えるようになるため、目にぬる目薬を買いなさい。

黙 3:19 すべてわたしの愛している者を、わたしはしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって悔い改めなさい。

黙 3:20 見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。

黙 3:21 勝利を得る者には、わたしと共にわたしの座につかせよう。それはちょうど、わたしが勝利を得てわたしの父と共にその御座についたのと同様である。

黙 3:22 耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい』」。


🗂️ 聖書本文の要約と構造(黙示録3:14-22)

  1. 差出人の紹介:「アァメンたる者、忠実な、まことの証人、神に造られたものの根源であるかた」
  2. 教会への叱責:「あなたは生ぬるい」「富んでいると言うが、実は惨めで貧しい」
  3. 勧告と命令:「熱くなれ」「悔い改めよ」「わたしは戸の外に立って叩いている」
  4. 勝利の約束:「わたしと共に座に着くことを許す」

🌺 主の評価:生ぬるさへの厳しい警告

ラオデキヤの教会は、自己満足と霊的鈍感さの中にありました。自らを「富んでいる」と思っていても、実際には「惨めで、哀れで、貧しく、盲目で、裸」であると主は語られます。

🔁 奨励と愛の招き

厳しい叱責の中にも、主は「わたしが愛する者を叱る」と言われます。そして、「悔い改めよ」「戸の外で叩いている」ということばに、忍耐深く待ち続ける主の愛がにじんでいます。

🌟 勝利の者への約束

勝利する者には、主と共に座に着くという特別な約束が与えられています。これは、主ご自身が勝利されたように、私たちにも栄光の座が与えられるという、驚くべき恵みの約束です。

📝 記事のまとめ

  • ラオデキヤの教会は、生ぬるさと自己満足に満ちていた
  • 物質的な豊かさの陰で、霊的には裸であった
  • 主は悔い改めと回復を愛をもって招かれた
  • 勝利の者には、主と共に座す栄光が約束されている

🕊️ 結びの祈り

主よ、 わたしたちが知らぬ間に、生ぬるい信仰に陥っていないか、心を探ってください。 目を開き、真の姿を見せてください。 戸の外で叩いておられるあなたの御声を聞かせてください。 心の扉を開いてあなたをお迎えし、 主と共に歩む日々を回復できますように。 アーメン。


📖この記事に関連する記事をもっと深く

コメント

タイトルとURLをコピーしました