イエスの奉献とシメオンの預言に学ぶ

マリアが幼子イエスを抱き、シメオンが手を差し伸べる様子を描いた温かい手描き風イラスト。ルカの福音書2章21–38節に基づく場面。 イエス様の足跡を巡る旅

🌱はじめに

イエスがまだ幼子であった頃、律法に従ってマリアとヨセフは彼を神殿に連れて行きました。
その出来事の中で、長年待ち望んでいたシメオンと女預言者アンナが登場し、イエスを見て喜びと賛美の声を上げます。

彼らはこの幼い命のうちに、すべての人のための「救いの光」を見たのです。
ルカの福音書2章21〜38節は、静かな場面の中に、神の大きなご計画が進められていることを私たちに教えてくれます。


📌この記事を読むとわかること

  • イエスの奉献の意味と背景
  • シメオンの信仰とその預言の深さ
  • 神の救いの普遍性(ユダヤ人と異邦人への光)
  • 「割礼」から「心の割礼」への移り変わり
  • 私たちが今、信仰によって受けとる希望について

🖼️ 原画:『イエスの割礼と奉献』(らけるま作)

神殿で幼子イエスを抱くマリアとヨセフ、見守る人々と、彼らを迎える老人シメオンの姿を描いたイラスト。
神殿にて、割礼と奉献のために幼子イエスを連れてきたマリアとヨセフ。聖霊に導かれて現れたシメオンが、約束の救い主との出会いに心震わせる場面を描いています。
神殿で幼子イエスを腕に抱き、神に感謝するシメオンと、それを見守るマリアとヨセフを描いたイラスト。
聖霊に導かれたシメオンが、約束された救い主イエスに出会い、喜びと平安のうちに賛美をささげます。彼の預言は、イエスの生涯と人々の心の在り方を静かに示しています。

📌 この原画には、パブリックドメイン口語訳入っています。

🪷やさしい解説

イエス、律法のもとに生まれる

イエスは生後8日目に割礼を受け、律法に従って名を与えられました(ルカ2:21)。
割礼とは、旧約における神との契約のしるしであり、アブラハムに与えられた掟(創世記17章)に基づくものです。

この割礼の儀式によって、イエスがユダヤ人の男子として、律法の中に生きられたことが明らかになります。
そしてそれは、私たちのために律法を完全に成就される歩みの始まりでもありました。


神にささげられる初子

神殿への奉献は、「すべての初子を神にささげる」という律法に基づいています(出エジプト記13:2)。
マリアとヨセフは、モーセの律法に従い、捧げものとして山鳩二羽を携えていました。
これは経済的に恵まれていない家庭に許された選択であり、イエスが貧しい者の中に生まれたことも示しています。


救いの光を見たシメオン

シメオンは聖霊に導かれて神殿に入り、幼子イエスを抱いてこう賛美しました。

「わたしの目があなたの救いを見たからです。これは、万民の前に備えられたもの、異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの栄光です。」(ルカ2:30–32)

イエスはユダヤ人の救い主であると同時に、異邦人にも開かれた光
シメオンはその神のご計画の深さを見て、心のうちに平安を得たのです。


苦しみの予告 ― マリアへの預言

シメオンはイエスに希望の光を見た一方で、マリアにはこう語りました。

「あなた自身も剣で胸を刺し貫かれるでしょう。」(ルカ2:35)

これは、イエスがやがて人々から拒まれ、苦しみを受けること、そして母としてマリアが深い悲しみにあうことを意味しています。
救いは、痛みのうちに与えられる。そこに神の愛の重さと深さがあるのです。


女預言者アンナの証し

アンナは84歳の敬虔な女性で、長年神殿に仕え、祈りと断食に生きていました。
彼女もまた幼子を見て、感謝をささげ、人々に向かって「この子こそ救い主だ」と語ります。

信仰に生きる者のまなざしは、小さな中に神の御業を見いだすのです。


心の割礼へ ― 新しい関係

旧約では、神の民のしるしとして体の割礼が求められました。
しかし新約では、パウロをはじめとする使徒たちによって、**「心の割礼」**の重要性が語られるようになります。

「文字ではなく、霊によって。人目によらず、神の前にされることが割礼なのです。」(ローマ2:29)

これは、外側の儀式ではなく、神の前に心を開き、信仰によって歩むことが大切であるという教えです。
律法の時代から、恵みと真実による新しい時代へと、神の救いは進んでいるのです。


📊 割礼と心の割礼の比較表

項目割礼(旧約)心の割礼(新約)
何か体に刻むしるし心に刻まれる信仰のしるし
いつ生後8日目に行う信じたとき(時期は人それぞれ)
誰にユダヤ人男子(民族的区別)すべての人に開かれている
意味アブラハム契約に属する証し神との関係に生きる心の変化
大切なのは外側の儀式内なる誠実さと神への信頼

🕊️神は、外側よりも、心の真実を見ておられます。(1サムエル記16:7より)


💡宗教と信仰のちがい ― 神は何を見ておられるのか?

多くの人は「宗教」と聞くと、ルールや儀式、決まりごとを思い浮かべるかもしれません。
たしかに、聖書の中にも律法や祭りなど、宗教的な要素がたくさん出てきます。

でも、それだけでは足りないのです。

イエスが来られたとき、神が求めておられたのは「心のささげもの」=信仰でした。

「神は、礼拝する者たちが、霊とまことによって礼拝することを望んでおられる」(ヨハネ4:23)

宗教は、人から神へ近づこうとする営みです。
信仰は、神が私たちに近づいてくださったことに応える、心の姿勢です。

律法を守ること以上に、「神を信じ、ゆだね、愛する心」が大切にされている。
それがイエスを通して示された新しい生き方なのです。


🎨 らけるまの創作メモ|奉献を描こうとした日

この絵を描こうと思った日、私はルカの福音書を静かに読み返していました。
イエスさまがまだほんの赤ちゃんだったころ、両親に連れられて神殿へと上っていく姿。
その場に、長い間ずっと救いを待ち続けていたシメオンがいて、祈りの人アンナがいて……
その光景は、とても静かで、とても確かな希望に満ちているように感じたのです。

奉献は、ささやかだけれど、とても深い行為です。
神に「ささげる」ということは、手放すことでもあり、信じてゆだねることでもあるから。
マリアとヨセフの手の中にある小さないのち――それは、ただの儀式ではなく、
神さまへの全幅の信頼のあらわれだったのだと思います。

この絵を描きながら私は、
「小さな日々のなかにも、神のご計画が静かに進んでいる」
ということを、もう一度心に刻みました。

あなたの今も、見えないところで祝福へとつながっていますように。

🕊️らけるま

🕊️結びの祈り

主よ、
幼子イエスを通してあなたの救いの光が示されたように、
私たちの心にも、その光が届きますように。
シメオンとアンナのように、静かな信仰と希望をもって、
あなたのご計画を待ち望む者となれますように。

主イエス・キリストの御名によって。
アーメン。

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