【十字架への道】兵士たちのあざけり|マタイ27章27-31節

茶色の軍装を着たローマ兵たちが、いばらの冠をかぶせられたイエス・キリストを囲んであざける場面。イエスは赤い外套をまとい、静かに目を閉じて座っている。画像には「十字架への道 兵士たちのあざけり マタイ27章27−31節」の文字。 未分類

🌱はじめに

静かに十字架への道をたどるとき、わたしたちは主イエスが受けた痛みとあざけりの深さに、心を留めることになります。その一つひとつの出来事の中に、救いの御業が静かに進められていたことを思い出しましょう。



📝この記事を読むとわかること

  • マタイ27章27-31節の場面の背景と流れ
  • ローマ兵たちによるイエスへのあざけりの意味
  • 弟子としての心の備えと祈り

📖この箇所の文脈|あざけられるイエス

前回は、ヘロデによる2回目の裁判で死刑宣告されたイエス。ピラトが群衆に迎合し、イエスを十字架につけるよう引き渡した後、イエスはローマ兵たちによって総督官邸に連れて行かれます。そこでは、兵士たちがイエスを囲み、王としての象徴を模したあざけりを行います。いばらの冠、赤い外套、葦の杖――これらはすべて、イエスが本当の王であることを皮肉る道具でした。しかしその辱めの中にこそ、主のへりくだりと愛が現れているのです。


🖼️原画:『十字架への道』(らけるま作)

ローマ兵たちに囲まれ、いばらの冠をかぶせられたイエス・キリストが、赤い外套をまとって座らされている場面。兵士たちはあざけり、ひざまずき、棒で頭をたたこうとしている。
「兵士たちはイエスをあざけり、いばらの冠をかぶせ、ひざまずいて『ユダヤ人の王、ばんざい』と言った」(マタイ27:29) 主の苦しみの中に、わたしたちの救いの道が始まっています。

🪷やさしい解説

マタイによる福音書第27章27節から31節は、イエス・キリストが十字架につけられる直前にローマの兵士たちから受けた屈辱的で残虐な嘲弄(ちょうろう)の場面を記しています。


📜 マタイ 27:27-31節の解説

この箇所は、ピラト総督がイエスを十字架刑に引き渡した後、処刑の執行を担うローマ兵士たちがイエスに対して行った行為を描写しています。彼らの行動は、イエスが「ユダヤ人の王」であるという主張を徹底的に嘲り、辱めることが目的でした。

1. 官邸への集合と衣服の剥奪 (27-28節)

  • 27節: 総督の兵士たちは、イエスを官邸(プラエトリウム)の中に連れて行き、全部隊(コホート。約600人の兵士)を集めました。これは、イエスへの嘲弄を大々的に行うため、また彼らが日頃抱いていたユダヤ人支配への不満や鬱憤を晴らすための、ある種の「見世物」と化したことを示します。
  • 28節: 兵士たちはイエスの着物を脱がせ、代わりに緋色(ひいろ)の上着を着せました。緋色(または紫)は王者の色とされており、この行為はイエスを偽りの王に見立てるための準備です。イエスはすでに鞭打たれた激しい傷を負っていたため、衣服を無理やり脱がされることは、想像を絶する痛みを伴ったでしょう。

2. 偽りの「王冠」と「王笏」(29-30節)

  • 29節:
    • いばらで冠を編み、頭にかぶらせました。これは、ユダヤ人の王にふさわしい王冠の代わりです。鋭いいばらの棘が頭に突き刺さり、耐え難い苦痛を与えました。
    • 右手に葦(あし)を持たせました。これは、王が持つ権威の象徴である王笏(おうしゃく/杖)の代わりです。
    • 彼らはイエスの前にひざまずいて「ユダヤ人の王、ばんざい」とからかいました。これは、真の王に対する敬意ではなく、徹底した皮肉と侮辱の表現です。
  • 30節:
    • イエスにつばきをかけました。これは極度の侮辱行為です。
    • 手に持たせた葦を取り上げ、それでイエスの頭をたたきました。これは、偽りの王笏で偽りの王冠(いばらの冠)をたたくという、二重の嘲弄であり、同時に頭の傷をさらに悪化させる残虐行為でした。

3. 十字架への連行 (31節)

  • 31節: 兵士たちは、嘲弄の目的を達成すると、緋色の上着を脱がせて、イエスのもとの着物(恐らくは血や泥で汚れたもの)を再び着せました。
  • そして、本来の目的である十字架につけるために連れ出しました。

📌 この箇所の持つ意味

この出来事は、単なる残虐行為の記録に留まりません。

  1. 究極の屈辱と受難: イエスは、罪のない神の子でありながら、人間が犯すことのできる最大の残虐性と侮辱の対象となりました。この苦難は、彼が人類の罪をすべて背負い、究極の「僕(しもべ)」として十字架に向かう途中の姿を際立たせています。
  2. 預言の成就: この一連の行為は、旧約聖書のイザヤ書などに記された「受難の僕(しもべ)」の預言(例えば、イザヤ50:6)を成就していると解釈されます。
  3. 人間の罪深さの露呈: ローマ兵士たちの行動は、権力や立場を利用して弱い者を徹底的に辱める、人間の醜く、残酷な部分を浮き彫りにしています。

この後、イエスは自身の十字架を負わされてゴルゴタへ向かいます(マタイ27:32以降)。この嘲弄の場面は、「十字架への道」(ヴィア・ドロローサ)の悲劇的な序章と言えるでしょう。

イエス様は、何も悪いことをしていないのに、人々からひどい仕打ちを受けました。それは、わたしたちの罪を背負うための道だったのです。


🌼こどもたちへのメッセージ

イエスさまは、わたしたちのために、つらいことにもがまんしてくださったんだよ。おこられても、ばかにされても、イエスさまはにげなかった。だれかをたすけるために、自分のことをゆずるって、すごいことだね。


🎚️弟子の告白

主よ、わたしはまだ弱く、あなたのように沈黙のうちに愛を示すことができません。
でも、あざけりを受けても黙って従われたあなたの姿に、心を打たれます。
あなたが受けた苦しみの中に、わたしの救いがあると信じます。
今日もあなたに従って歩む心を、わたしのうちに新しくしてください。


🖼️原画アイキャッチ情報

【代替テキスト】
ローマ兵たちに囲まれ、いばらの冠をかぶせられたイエス・キリストが、赤い外套をまとって座らされている場面。兵士たちはあざけり、ひざまずき、棒で頭をたたこうとしている。

【キャプション】
「兵士たちはイエスをあざけり、いばらの冠をかぶせ、ひざまずいて『ユダヤ人の王、ばんざい』と言った」(マタイ27:29)
主の苦しみの中に、わたしたちの救いの道が始まっています。

📌原画には、パブリックドメイン口語訳が含まれています。
https://j-bible.jimdofree.com/


🎨らけるまの創作メモ|あざけりの中のまなざしを描こうとした日

この原画では、イエスさまが黙ってあざけりを受けるその瞬間を描こうとしました。多くの兵士に囲まれ、笑われ、たたかれ、それでも怒らず、目を閉じて祈るようなその姿に、「まことの王」としての深い静けさを込めたかったのです。
苦しみの中にあっても、人を責めず、愛しぬかれたイエスさまのまなざしが、見る人の心に届きますように。


📝この記事のまとめ

  • イエスは総督官邸でローマ兵たちのあざけりを受けた
  • いばらの冠、赤い外套、葦の棒は王を嘲る象徴
  • しかし主は沈黙のうちに耐えられ、十字架へと向かわれた
  • この場面には、へりくだりと愛があふれている

🕊️結びの祈り

主イエスよ、あなたが静かに苦しみを受けられた姿に、わたしの心は打たれます。
どんなときも、怒りではなく、愛で応えられたあなたのまなざしを、わたしも見つめて歩めるようにしてください。
読んでくださった方々の心にも、あなたの平安と慰めが注がれますように。


🔔次回の予告

次回は、「十字架途上のイエス」ルカの福音書23章26-32節を味わっていきます。


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✨感謝のことば
最後まで読んでくださって、ほんとうにありがとうございます。
あなたの心に、今日も小さな光が灯りますように――
またいつでもお越しくださいね🕊️
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著作権
本作品は、聖書に忠実に、神様との対話の中で心を込めて描いた原画です。文化庁に著作権登録済みであり、無断使用・転載はご遠慮くださいますようお願いいたします。 This artwork was prayerfully created in faithful reflection of the Bible and through a personal dialogue with God. It is registered with the Agency for Cultural Affairs, Japan. Unauthorized use or reproduction is not permitted.
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