大きな白い御座のさばき|すべての人が神の御前に立つとき

まばゆい光に包まれた白い御座に神が座しておられ、御前に多くの人々が静かに立っている。中央には「大きな白い御座のさばき 黙示録20:11–15」という文字が表示されている。 終末の備え

🌱はじめに

黙示録20章の後半には、「大きな白い御座」と呼ばれる場面が描かれています。そこは、すべての人が立たされる神の裁きの場。厳かで真実なその光景には、恐れと同時に深い慰めが含まれています。この記事では、神の御前に立つということの意味を、聖書のことばを通してやさしく見つめてまいりましょう。


📌この記事を読むとわかること

  • 「大きな白い御座のさばき」が意味するものとは何か
  • 命の書に名が記されていることの重要性
  • 携挙に与った者と大白い御座のさばきの関係
  • 裁きに対する神の真実とあわれみの姿
  • 今が恵みの時であり、救いの門が開かれていること

🖼️ 原画:『大きな白い御座のさばき』

大きな白い光に包まれた玉座に、栄光の中で座す神。その前に静かに立つ多くの人々。
天と地のすべてを超えて、わたしたちは神のまなざしの中に立つ。その光は、真実とあわれみの光。

🪷やさしい解説

📖 すべての人が神の御前に(黙示録20:11–12)

「また、私は大きな白い御座と、そこに座っておられる方を見た。地も天もその御前から逃げ去って、跡形もなくなった。」(黙示録20:11)

この御座に座しておられるのは、天地を治める聖なる神ご自身です。その前には、偉い人も小さな人も、すべての人が立たされます。ひとりひとりの人生が、その記録に基づいて照らされるとき、真実が明らかにされていきます。

命の書に名が記されている者――それは、イエス・キリストを信じ、その救いに与った者たちのこと。神は私たちの行いを見るとともに、心の内をもご存じです。


📖 命の書とさばきの基準(黙示録20:12)

「また、死んでいた者が、大いなる者も小さき者も共に、御座の前に立っているのが見えた。かずかずの書物が開かれたが、もう一つの書物が開かれた。これはいのちの書であった。死人はそのしわざに応じ、この書物に書かれていることにしたがって、さばかれた。」(黙示録20:12)

神のさばきは、人の評価とはちがい、完全に正しく公平です。この場面に出てくる「書物」には、それぞれの人の生涯の記録があるとされますが、その中で特に重要なのが「命の書」です。

この命の書に名前が記されている者は、永遠のいのちにあずかります。私たちがその救いを受け取るかどうかは、自分の行いや努力ではなく、ただイエスさまを信じる信仰によるのです。


🌿 命の書に記されるということ

聖書には「命の書」について何度か記されています。たとえば、出エジプト記32章33節では、「わたしに罪を犯した者はみな、わたしの書から消し去る」と主が言われ、また黙示録3章5節では「勝利を得る者の名を命の書から決して消すことはない」とあります。

このことから、多くの信仰者が次のように理解しています:

すべての人は、神のかたちに創られた存在として命の書に名をもって生まれますが、罪の中にとどまり、救い主イエスを拒み続けるなら、その名は命の書から消されてしまう可能性がある、と。

しかし、同時にこうも言えます:

イエス・キリストを信じる者は、命の書にその名が確かに記され、決して消し去られることがない――この恵みは人の努力ではなく、ただ信仰によって与えられるのです

「あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。」(エペソ2:8)


🔥 永遠のゆくえを決定づける瞬間(黙示録20:13–15)

「海はその中にいる死人を出し、死も黄泉もその中にいる死人を出し、そして、おのおのそのしわざに応じて、さばきを受けた。 それから、死も黄泉も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である。 このいのちの書に名がしるされていない者はみな、火の池に投げ込まれた。」(黙示録20:13-15)

この場面では、死んだすべての人がよみがえり、それぞれが神の御前に立ちます。そして命の書に名がない者は、「火の池」に投げ込まれると記されています。これは永遠に神から離れるさばきの象徴です。

※補足:携挙に与った者、すなわちイエス・キリストを信じてすでに永遠のいのちにあずかった者たちは、この大白い御座のさばきには立たされることはありません

「よくよくあなたがたに言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをつかわされたかたを信じる者は、永遠の命を受け、またさばかれることがなく、死から命に移っているのである。」(ヨハネ5:24参照)

このさばきは、永遠のいのちを拒み続けた者たちに向けられた最後の裁きです。

「死も、よみも、その中にいる者たちを出した。そして、彼らはおのおの、自分の行いに応じてさばかれた。」(黙示録20:13)

この場面では、死んだすべての人がよみがえり、それぞれが神の御前に立ちます。ここでの復活は、栄光の復活ではなく、裁きのための復活です。そしてとても恐ろしいことに、復活の体をもって火の池に投げ込まれ、永遠に苦しむことになるのです。これはマルコの福音書9章48節にあるように、

「地獄では、うじがつきず、火も消えることがない。」

とある通りです。そして命の書に名がない者は、「火の池」に投げ込まれると記されています。これは永遠に神から離れるさばきの象徴です。

けれど忘れてはならないのは、この箇所もまた「救いの確かさ」を教えてくれるということ。命の書に名が記されていることこそ、私たちにとって最大の希望なのです。

🪷やさしいまなざしで見るさばき

神のさばきは、恐怖の宣告ではなく、すべてを正しく整える愛の御業です。この御座の場面も、神の清さとまこと、そしてあわれみをあらわすしるしです。

わたしたちのすべてをご存じでありながら、なおも救おうとしてくださる神。そこには、涙をぬぐい、わたしたちに永遠の住まいを与えるあたたかい愛があるのです。

今は恵みの時、救いの日です

「神はこう言われる、/「わたしは、恵みの時にあなたの願いを聞きいれ、/救の日にあなたを助けた」。見よ、今は恵みの時、見よ、今は救の日である。(Ⅱコリント6:2)。

この静かで真実なメッセージに触れた方々が、恐れではなく、神のあわれみに心を向けて、主イエスの御もとへと導かれていきますように――


🖼️ 原画:『大白い御座』(らけるま作)

🖼️代替テキスト:

大白い光に包まれた玉座に、栄光の中で座す神。その前に静かに立つ多くの人々。

✍️キャプション:

天と地のすべてを超えて、わたしたちは神のまなざしの中に立つ。その光は、真実とあわれみの光。


📌この記事のまとめ

  • 大白い御座とは、すべての人が立たされる神の裁きの場
  • 命の書に名がある者は、永遠のいのちにあずかる
  • さばきは恐れではなく、真実とあわれみのあらわれ
  • 神の愛は、わたしたちのすべてを知ったうえで受け入れてくださる

❓Q&A:よくある質問と答え

Q1:大きな白い御座のさばきは、すべての人に起こるのですか?

A1:
いいえ。イエス・キリストを信じ、携挙に与った者たちはこのさばきには立ちません(ヨハネ5:24)。大白い御座のさばきは、永遠のいのちを拒み続けた人々が立つ、最後のさばきです。


Q2:命の書に名前があるかどうかは、どうすればわかりますか?

A2:
命の書に名があるかどうかは、イエス・キリストを信じているかどうかによって決まります。救いは、努力や行いではなく、信仰によって与えられる神さまの恵みなのです(エペソ2:8)。


Q3:この裁きはとても恐ろしく感じます。神さまは本当に愛の方ですか?

A3:
はい、神さまは愛の方であり、同時に義の方でもあります。大白い御座のさばきは、すべてを正しく裁かれる神の真実の現れです。今は「恵みの時」であり、神さまは誰もが救われることを望んでおられます

「ある人々がおそいと思っているように、主は約束の実行をおそくしておられるのではない。ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである。」(Ⅱペテロ3:9)


Q4:信じているのに不安になるとき、どうすればいいですか?

A4:
そのような不安も神さまはご存じです。聖書を読み、祈りの中で神に心を開いていくとき、主は静かに励ましと平安を与えてくださいます。

「わたしの羊はわたしの声に聞き従う。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしについて来る。」(ヨハネ10:27)

というみことばのように、神はあなたを決して見放されません。

🕊️ 主のもとに導かれる祈り

愛する主よ、
あなたはすべての人が救われることを望んでおられます。
どうかこの言葉に触れたひとりひとりが、
あなたの御声に気づき、
あなたのもとに立ち帰ることができますように。

今は恵みの時、今こそ救いの日。
あなたの十字架の光が、
すべての闇に差し込みますように。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。


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