山の上から語られた幸い――イエスのやさしいまなざしとともに

青空の下、イエスが山の上で群衆に語りかける様子。色とりどりの衣をまとった人々が座り、中央に立つイエスは両手を広げてやさしい表情で教えている。左上に「山上の説教」、中央に「1.ほんとうの幸福について」と黄色の文字が配置されている。 教えとたとえ話|心に届くことば

🌱はじめに

大勢の人々が、イエスさまのもとに集まってきていました。
病をいやされたい人、心を満たすことばを求める人、ただイエスさまの近くにいたいと願う人……。
そんな群衆を前に、イエスさまは静かに山に登り、腰を下ろして語りはじめられます。
――「ほんとうの幸い」とは、どんな人に訪れるのか。
そのやさしいことばは、今もわたしたちの心に静かに届いてきます。


📝この記事を読むとわかること

  • 「山上の説教」が始まるときの背景と流れ
  • イエスが語られた「ほんとうの幸い」とは何か
  • 貧しさや悲しみ、飢え渇きを抱える者への祝福の意味
  • 原画に込められた静けさと希望のメッセージ

🖼️ 原画:『山上で教え始める』(らけるま作)

イエスが山の上で座り、多くの弟子たちと人々に囲まれて教えを語っている様子。背景には青空と雲が広がり、色とりどりの衣をまとった人々が静かに耳を傾けている。
「群衆が押し寄せるなか、イエスは山に登り、静かに口を開かれました。――ほんとうの幸いとは何かを、やさしく語りはじめたのです。」

🪷やさしい解説(イエスさまの視点から)

私は山に登り、腰を下ろして語り始めました。
集まっていたのは、病に苦しむ者、悲しみを抱える者、
そして日々の重荷に疲れた者たち――
心に空白を抱えた、愛されたいと願う人々でした。

私は彼らに「さいわいです」と語りました。
それは、状況がよくなるから幸いだという意味ではありません。
神のまなざしの中で、すでにその人のうちに祝福が始まっている
そう伝えたかったのです。

「心の貧しい人」は、自分の力では満たされないことを知っています。
だからこそ、天の国を求め、神を見上げる心があるのです。
「悲しむ人」は、この世の不条理や罪に涙する人。
その痛みに私は深く共鳴し、慰めの約束をもって応えます

「義に飢え渇く人」は、神の正しさと真実を願い求める人。
そのような心には、私のからだを裂いて与える義が注がれるのです。
これは人間の努力では届かない、わたし自身による義――
だから、飢え渇いても、かならず満たされるのです。

私のことばは、耳に心地よい理想論ではなく、
神の国の現実と、そこに招かれる者たちのしるしです。
この祝福は、やがて十字架と復活によってはっきりと明かされていくでしょう。

わたしは、今日もあなたに語りかけています。
「あなたは幸いです」
――そう、私のまなざしの中にいるあなたに。

🕊️ この「やさしい解説」は、イエスさまがご自身で語られたことばを、
そのままご自身のまなざしから語り直したものです。
今も、わたしたち一人ひとりに静かに語りかけてくださっている――
その声に心を澄ませて、読んでみてください。


✨ 八つの祝福 解説(マタイ5:3–12)


📖 5:3「こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。」

わたしは、空っぽの心にこそ、天の国の入り口が開かれていることを語りました。
自分の弱さを知り、神にすがろうとする者のうちに、すでに神の王国は宿りはじめているのです。
誇り高き者ではなく、へりくだる者こそが神の恵みに気づく心を持っているのです。


📖 5:4「悲しむ人たちは、さいわいである、その人たちは慰められるであろう。」

罪、喪失、傷――この世の苦しみに心から涙する者の涙を、わたしは見つめています。
その涙は、神の心と響き合うものであり、わたしの慰めと癒しによって応えられるでしょう。
悲しみを抱えることは、愛を知っている証。
だからこそ、その心にはわたしの平安が訪れるのです。


📖 5:5「柔和な人たちは、さいわいである、その人たちは地を受けつぐであろう。」

力を誇る者ではなく、怒りを制し、やさしさを選ぶ者に、わたしは未来を託します。
柔和であることは弱さではなく、神に心をゆだねる強さ
そうした人々こそ、やがて新しくされる世界――神の御国を受け継ぐ者となるのです。


📖 5:6「義に飢えかわく人たちは、さいわいである、その人たちは飽き足りるであろう。」

世界の不正に痛み、神の正しさを求めてやまない心に、わたしは深く応えたい。
この飢えと渇きは、わたし自身のからだと血によって満たされます。
十字架の義が、義に飢えるすべての人を飽き足らせるのです。


📖 5:7「あわれみ深い人たちは、さいわいである、その人たちはあわれみを受けるであろう。」

赦す者には、わたしの赦しがそそがれます。
他者の痛みに寄り添う心、赦しのこころを持つ者こそ、神の御顔を映す者
あわれみは、わたしの心の中心にあるものです。
その心をあなたにも授け、神のあわれみを共に受ける喜びへ招いています。


📖 5:8「心のきよい人たちは、さいわいである、その人たちは神を見るであろう。」

わたしをまっすぐに求める者のうちに、わたしは姿を現します。
清さとは、罪を犯さないことだけではなく、まごころから神を慕い求めること
その心の澄んだ人には、わたしがどんな時も共にいると知る平安が訪れるのです。


📖 5:9「平和をつくり出す人たちは、さいわいである、その人たちは神の子と呼ばれるであろう。」

争いをおさめ、断絶の中に和解をもたらす者は、わたしの姿に似た者です。
神の子として生きるとは、平和をあきらめず、小さな和解を選び取ること
わたしが十字架で結ばれたのは、天と地、人と神、人と人とを和解させるため――
その働きに加わる者は、まことに神の子なのです。


📖 5:10「義のために迫害される人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。」

真実を生きる者は、時に拒まれることがあります。
でも、わたしと同じ道を歩む者に、わたしは天の国を約束します。
この世の拒絶は、神の承認の印に変えられるのです。


📖 5:11–12「人々があなたがたをののしり、迫害し、また、ありもしないことで悪口を言って、あなたがたに敵対するとき、あなたがたはさいわいである。喜びなさい。大いに喜びなさい。あなたがたの報いは天において大きいからである。」

わたしの名のために、あなたがたが苦しむとき、わたしはそれを知っている。
そして、あなたがたの涙は天に記され、大きな報いが備えられている
わたしの前を歩いた預言者たちと同じように、あなたがたも神の物語に生きている。
だから、失望せず、喜びと希望のうちに立ちなさい

🕊️ この「八つの祝福 解説」は、イエスさまがご自身で語られたことばを、
そのままご自身のまなざしから語り直したものです。
今も、わたしたち一人ひとりに静かに語りかけてくださっている――
その声に心を澄ませて、読んでみてください。


マタイの福音書5章3〜10節に記されている「幸いである(さいわいである)」ということばが繰り返される部分は、伝統的に 「八つの祝福(The Beatitudes)」 と呼ばれています🕊️

🔹なぜ「八つ」なの?

以下の8つの節において、それぞれ「〇〇な人たちは、さいわいである」という形で始まり、
その人々に与えられる祝福(神の国、慰め、飽き足りる、など)が語られています:

  1. 心の貧しい人(5:3)
  2. 悲しむ人(5:4)
  3. 柔和な人(5:5)
  4. 義に飢え渇く人(5:6)
  5. あわれみ深い人(5:7)
  6. 心のきよい人(5:8)
  7. 平和をつくる人(5:9)
  8. 義のために迫害される人(5:10)

🔹11–12節は含まれないの?

5:11–12では「あなたがたが迫害されるとき」として再び祝福のことばが語られますが、
これは8番目の祝福(迫害)をより具体的に弟子たちに向けて展開した部分と考えられることが多いです。

そのため、「八つの祝福」は主に5:3–10節にあたります。

🌱 この「八つの祝福」は、神の国の価値観をやさしく、しかし根本から逆転させるイエスさまの教えであり、
キリスト教の信仰生活の中心とも言えるほど大切な土台となっています。


🎚️ 信仰のことば

「こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。」(マタイ5:3)


🖼 原画アイキャッチ情報

【代替テキスト】
イエスが山の上で座り、多くの弟子たちと人々に囲まれて教えを語っている様子。背景には青空と雲が広がり、色とりどりの衣をまとった人々が静かに耳を傾けている。

【キャプション】
「群衆が押し寄せるなか、イエスは山に登り、静かに口を開かれました。――ほんとうの幸いとは何かを、やさしく語りはじめたのです。」

📌原画には、パブリックドメイン口語訳入っています。


🎨 らけるまの創作メモ|「幸い」を描こうとした日

この絵を描いた日、心の中に「やさしさが満ちていくような教えって、どんな表情から語られるんだろう」と思いながら筆を取りました。
イエスさまのまなざしは、強く訴えるのではなく、そっと包むような眼差しだったのではないか――そんな想いで、手を差し出し語る姿を描いています。
群衆一人ひとりの表情や衣の色も、さまざまな人生がそこにあることを表現しようと心がけました。
「あなたも祝福されている」と、そっと語りかけてくるような1枚になっていたらうれしいです。


📝この記事のまとめ

  • 山上の説教は、多くの群衆と弟子たちを前に語られた
  • 「八つの祝福」は、神の国における幸いの逆説的な宣言
  • 弱さや飢え渇き、悲しみを抱える者にこそ、神の恵みが注がれている
  • イエスさまのまなざしは、今も「あなたは幸いです」と語りかけている
  • 原画はその静けさと恵みの場面を視覚的に描いている

🕊️ 結びの祈り

主イエスさま、
あなたが語ってくださった祝福のことばを、今日わたしたちも受け取ります。
心の貧しさを隠さず、悲しみや正しさへの渇きを、あなたの前に差し出します。

どうか、あなたのまなざしがわたしたちの内に灯をともしますように。
この記事を読んでくださったすべての方に、
あなたのやさしい祝福が届きますように。

主の平和が、今日もわたしたちを包んでくださいますように。
アーメン。


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きっと、あなたの今の歩みに寄り添う光が見つかりますように――

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