エルサレム会議|使徒15:1-21

エルサレム会議で、使徒たちと長老たちが集まり、割礼と救いについて祈りと議論を重ね、神の恵みによる救いが確認された場面を描いたイラスト 使徒の働き

🌱 はじめに

教会が広がり、異邦人にも福音が伝えられていく中で、ひとつの大きな問いが生まれました。
「救われるためには、モーセの律法を守らなければならないのだろうか?」

この問いに向き合うため、使徒たちと長老たちはエルサレムに集まり、祈りと対話の中で神の御心を求めました。
それが、エルサレム会議です。
この出来事は、教会が“恵みによる救い”をどのように守り、分かち合っていくのかを示す大切な転換点となりました。


📝 この記事を読むとわかること

  • エルサレム会議が開かれた理由
  • 割礼と救いをめぐる当時の葛藤
  • ペテロ・パウロ・ヤコブの証しと判断
  • 「恵みによる救い」が確認された意味
  • 今を生きる私たちへのメッセージ

📖 この箇所の文脈

アンテオケ教会で、ある人々が
「モーセの慣例に従って割礼を受けなければ救われない」
と教え始めたことから、激しい議論が起こりました。

そこで、パウロとバルナバはエルサレムに上り、使徒や長老たちと共に、この問題について話し合うことになります。
異邦人の救いは、人の行いや律法によるものなのか、それとも神の恵みによるものなのか――
教会全体が真剣に向き合う時が来ていたのです。


🖼️ 原画:『エルサレム会議』(らけるま作)

割礼と救いをめぐる問題について、パウロとバルナバがエルサレムで使徒や長老たちと話し合うエルサレム会議の様子を描いたイラスト
異邦人も律法を守らなければ救われないのか──。
この問いを巡って、パウロとバルナバはエルサレムに上り、使徒たちや長老たちと共に、神の御心を求めて語り合った。
割礼と救いをめぐる問題について、パウロとバルナバがエルサレムで使徒や長老たちに報告し、会議が始まる様子を描いたイラスト
異邦人も律法を守らなければ救われないのか」――
この大きな問いを前に、パウロとバルナバはエルサレムへ上り、教会と使徒たちの前で、神が共にいて下さった働きを語った。

🪷 やさしい解説

エルサレム会議は、勝ち負けを決めるための場ではありませんでした。
人の考えを押し通すのではなく、神がすでになさっている働きに耳を傾けるための集まりでした。


① なぜ会議が必要だったの?

ユダヤ人にとって、律法と割礼は長い歴史の中で守られてきた大切な信仰のしるしでした。
だからこそ、「異邦人も同じように守るべきではないか」という思いが生まれたのです。

しかし一方で、パウロやバルナバは、
異邦人が律法を守る前に、すでに聖霊を受け、喜びに満たされている姿を見ていました。


② ペテロの証し ― 神は分け隔てをされない

ペテロは、コルネリオの出来事を思い起こしながら語ります。

神は、人の心をご存じで、
異邦人にも、私たちと同じように聖霊をお与えになった。

救いは、人の努力や資格ではなく、
主イエスの恵みによって与えられる――
それが、ペテロの確信でした。


③ パウロとバルナバの報告

続いて、パウロとバルナバは、異邦人の間で神が行われた数々のしるしと奇跡を語りました。
それは、神ご自身が異邦人を受け入れておられる証しでした。

会議の場は、次第に静まり、
人の意見ではなく、神の働きそのものに目が向けられていきます。


④ ヤコブの判断 ― 重荷ではなく、配慮を

最後に語ったのは、ヤコブでした。
彼は聖書の言葉を引用しながら、

異邦人に、これ以上の重荷を負わせるべきではない

と述べ、必要最低限の配慮だけを示しました。
こうして会議は、「恵みによる救い」を中心に据えた結論へと導かれていったのです。


エルサレム会議が今の教会に問いかけていること

エルサレム会議は、昔の教会だけの出来事ではありません。
むしろ、今の教会こそ学ぶ必要のある出来事だと言えるかもしれません。

教会は気づかないうちに、
「こうしなさい」「これを守りなさい」「まだ足りない」
という言葉で、人を導こうとしてしまうことがあります。
善意から始まった教えであっても、それが積み重なると、
信仰は喜びではなく、重荷になってしまいます。

初代教会も、まさにその危機に立たされていました。
「救われるためには、これもしなければならない」
という声が強くなったとき、使徒たちは立ち止まりました。

彼らが問うたのは、
「人は何を守ればよいのか」ではなく、
**「神はすでに何をしておられるのか」**でした。

ペテロは、異邦人にも聖霊が与えられている事実を語り、
ヤコブは、

これ以上、重荷を負わせるべきではない
と結論づけました。

教会の中心に置かれたのは、
規則でも、努力でも、熱心さでもなく、
主イエスの恵みでした。

恵みが語られないとき、
教会は人を動かすために「命令」に頼ってしまいます。
しかし、恵みが語られるところでは、
人は責められるからではなく、
愛されていることに気づいて変えられていくのです。

エルサレム会議は、
「正しさで人を縛る教会」ではなく、
「恵みで人を生かす教会」へと向かうための、
大切な分岐点でした。


🌼 こどもたちへのメッセージ

かみさまは、
「できた人」だから、あいしてくださるのではありません。

できなくても、
まちがえても、
こわくても――
イエスさまは、あなたをそのまま受けとめてくださいます。

かみさまのだいじょうぶは、
いつもあなたのそばにあります 🌱


🎚️ 弟子の告白

主よ、
わたしは、つい「ちゃんとできているか」で
自分や人をはかってしまいます。

けれど、あなたは
行いではなく、心を見てくださるお方。

どうか、あなたの恵みに信頼し、
人に重荷をのせるのではなく、
希望を分かち合う弟子とならせてください。


🖼 原画アイキャッチ情報

【代替テキスト】
割礼と救いをめぐる問題について、使徒と長老たちが集まり、神の御心を求めて話し合うエルサレム会議の様子を描いたイラスト

【キャプション】
人の決まりではなく、神の恵みによる救いが確かめられたエルサレム会議。教会は祈りと対話を通して、一つの道へと導かれていった。

📌 原画には、パブリックドメイン口語訳が含まれています。
https://j-bible.jimdofree.com/


🎨 らけるまの創作メモ|「重荷ではなく、恵みを描こうとした日」

この原画では、
「正しさ」を主張する人と、
「恵み」を語る人のあいだに流れる、
緊張と祈りの空気を大切にしました。

神さまは、いつも
人を縛るためではなく、
自由にするために語られる――
そんな思いを込めて描きました。


📝 この記事のまとめ

  • エルサレム会議は、救いの本質を確認する場だった
  • 救いは律法ではなく、主イエスの恵みによる
  • 神は異邦人にも分け隔てなく聖霊を与えられた
  • 教会は「重荷」ではなく「配慮」を選んだ
  • 恵みに立つ信仰が、教会を一つにした

🕊️ 結びの祈り

主よ、
わたしたちが、
自分の正しさよりも、あなたの恵みを選べますように。

迷う人、苦しむ人、
信仰に不安を覚えている人の上に、
あなたのやさしい光が注がれますように。

すべての人が、
「そのままで愛されている」と
知ることができますように。
アーメン。


🔔 次回の予告

次回は、「アンテオケの使節派遣」
使徒15章22–35節を読み進めます。
会議の決定が、どのように教会へ届けられたのかを見ていきましょう。


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