トイレ掃除から見えたイエス様の血潮

教会の中の赤いじゅうたんの上に掃除機が置かれ、左側には「トイレ掃除から見えたイエス様の血潮」という日本語のタイトル。じゅうたんには靴の汚れがにじみ、本物の血のようにも見える。 証しと祈り

🌱はじめに

人生のある時、わたしたちは神様に問いかけたくなる瞬間に出会います。「どうして、こんなにも苦しいのですか?」と。その問いが、やがて静かな答えへと変えられていく時、信仰の深みへと導かれるのです――


📌この記事を読むとわかること

  • 苦しい日々の中で神様に感じた疑問
  • トイレ掃除という労苦の現場で与えられた示し
  • イエス様の十字架の血潮が与える真実の慰め
  • 信仰が生活に何をもたらすのかという気づき

🖼️原画:『赤いじゅうたんに宿る血潮』

 清掃の現場に敷かれた赤いじゅうたんが、イエス様の血潮のように見える光景
イエス様の十字架の苦しみが、日常の只中にしずかに現れて…

🪷やさしい解説

三人の娘とともに新たな暮らしを始め、生活のために選ばれた掃除の仕事。そこには想像以上の苦労がありました。特に、100の便器を掃除する日々に、思わず神様に文句を言ってしまうことも…。

仕事の時にいつも玄関からフロントまでの赤いじゅうたんを掃除機でかけていました。けれど、ある日、ふと見た赤いじゅうたん――そこには、スクールに通う生徒さんたちの靴が運んだ泥や汚れが蓄積していたせいか、まるで血のように黒ずんで見えました。その瞬間、胸を突いたのは、「イエス様の血潮!!」という思いが来ました。そして私は心の中で叫びました。「私がイエス様を十字架にかけたんだ」と。

それは、イエス様の犠牲の重みを心で知る体験でした。ご自身の苦しみよりも遥かに深い、十字架の苦しみ。そこに気づいたとき、苦労の意味が変わり、心が静かに整えられていきます。

信仰とは、生活がすぐに楽になることではありません。けれど、聖霊によって示される真理に触れるとき、私たちの歩みは「永遠」という希望へとつながっていきます。

🖼 原画アイキャッチ情報

代替えテキスト:清掃の現場に敷かれた赤いじゅうたんが、イエス様の血潮のように見える光景

キャプション: イエス様の十字架の苦しみが、日常の只中にしずかに現れて…


📝この記事のまとめ

  • 苦しい生活の中での労働に、神様への不満を覚えた日々
  • 掃除の中で見えた「赤いじゅうたん」が示す啓示
  • イエス様の血潮の意味と、十字架の犠牲の深さ
  • 状況が変わらずとも、心に与えられた平安と信仰の確かさ

🕊️結びの祈り

主よ、私たちが苦しみの中にいるとき、あなたはすでにもっと深い痛みを経験しておられることを思い出させてください。
イエス様の流された血潮が、今も私たちの心に語りかけてくださることに感謝します。
小さな日常の中にも、あなたの愛の証が見える目を私たちに与えてください。
どうかこの証を通して、読む方の心にあなたの平安と励ましが届きますように。
アーメン。

証しと祈り
著作権
本作品は、聖書に忠実に、神様との対話の中で心を込めて描いた原画です。文化庁に著作権登録済みであり、無断使用・転載はご遠慮くださいますようお願いいたします。 This artwork was prayerfully created in faithful reflection of the Bible and through a personal dialogue with God. It is registered with the Agency for Cultural Affairs, Japan. Unauthorized use or reproduction is not permitted.
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