📖 イエス様との出会い
私がイエス・キリストと出会ったのは、44歳のときでした。
夫の会社が倒産する直前、生活も心も不安でいっぱいの時期に、友人の誘いで初めて“教会”という場所を訪れました。
私の町には神社やお寺はあっても、教会はなく、キリスト教のことも何も知りませんでした。
クリスマスといえば、ケーキやチキン、プレゼント。ただの年中行事としてしか受け止めていなかった私が、“本当のクリスマスの意味”を知る日が来るなんて――思いもよりませんでした。
🎶 歌と笑いを求めて
友人は言いました。
「教会は誰でも入れるし、歌も歌うし、男の人の話が面白いよ」
今思えば、その“男の人”とは牧師のことでした(笑)。
そのときの私は、
「歌えば腹筋が鍛えられるかな」「笑えたら気がまぎれるかも」そんな軽い気持ちでした。
でも、主はその“ほんの小さな動機”さえも用いて、私を永遠の救いへと導いてくださいました。
✨ ただ信じるだけで、天国?
その牧師がこう語ったのです。
「イエス・キリストを信じると、すべての罪がゆるされて天国に行けます」
私は耳を疑いました。信じるだけで? 天国に?
そんな教え、今まで聞いたことがありませんでした。
💧 私の心の奥底
私は、死んだら地獄に行くと信じていました。
善いこともできず、家族に迷惑ばかりかけ、心は嘘や妬み、怒りや欲でいっぱいでした。
そんな私が「信じるだけで救われる」と言われても、にわかには信じられませんでした。
けれど、それでもどこかで「知りたい」と思ったのです。
📖 聖書との出会い
イエス様を信じるとは――まず、その方を「知ること」から始めようと思いました。
新約聖書を読み始めましたが、正直、ちんぷんかんぷんでした(笑)。
でも、どこかに本当の神様がいるなら知りたい。そう思い、創世記から読み直しました。
すると、不思議なことが起きました。
「これは面白い! 絵を描いてみたい!」
そう思った瞬間、私の中に創造の光が差し込んだのです。
💔 すべてを失って
結局、夫の会社は倒産し、夫は三人の娘と私を置いて実家に帰ってしまいました。
家も失い、財産もなくなり、これからどう生きていけばいいのか分からない日々。
でも、私の手には聖書がありました。言葉がありました。
そして、その言葉こそが、「いのちのパン」だったのです。
🕊️ 少しずつ、でも確かに
教会に勧められて受けた洗礼。その時はまだ、すべてを理解していたわけではありませんでした。
でも、イエス様にすがるような日々のなかで、信仰が少しずつ、確かに増していくのを感じました。
🌿 みことばの光
「主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、霊の砕かれた者を救われる。」
— 詩篇 34:18(新改訳)
失ったその場所にこそ、主は深く近づいてくださいました。あの時の私のように、今日も誰かのもとに。
🌈 これから、証しを語っていきます
この出会いをきっかけに、私は神様の愛と恵みを描き始め、証しを綴りはじめました。
この場所を通して、私がどのように救われ、導かれ、変えられたか――少しずつお話ししていけたらと思っています。
どうか、これを読んでくださるあなたの心にも、主のやさしいまなざしと愛が届きますように。
🙏 結びの祈り
主よ、
あなたがすべてを失った私を見捨てず、むしろその時こそ、最も近くにいてくださったことを感謝します。
私の証しを通して、今も苦しみの中にいる誰かに、あなたの光が届きますように。
イエス様のお名前によって、祈ります。アーメン。
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