安息日に癒す――手のなえた人とイエスのまなざし

イエスが安息日に、片手のなえた人を癒そうとしている場面。向かい合うイエスと男性、彼らを見つめるパリサイ人たちが描かれている。 癒し|病と心の回復

🌱はじめに

安息日、それは神が創造の業を終え、休まれた日。ユダヤの人々にとって、特別に聖なる日とされていました。
その日、イエスはひとりの「手のなえた人」と出会います。人の目を気にする群衆、さぐるような宗教指導者たち。
それでもイエスは、迷いなく語り、癒しを与えました。
律法の外にある真実の「良きこと」とは何か――
この場面をともに静かに見つめてみましょう。


📝この記事を読むとわかること

  • 安息日にイエスが癒された人の物語の背景
  • 宗教指導者たちとの緊張関係
  • イエスが示した「良いこと」とは何か
  • 原画に込められた創作の想い

🖼️ 原画:『手のなえた人をいやす』(らけるま作)

イエスが安息日に会堂で、なえた手の人を癒す場面。周囲ではパリサイ人たちがイエスを訴えようと見張っており、癒された人は手を伸ばしている。
安息日――人をいやすことは、律法を超えて神の愛をあらわすこと。
イエスは、片手のなえた人に「手を伸ばしなさい」と言われました。
その瞬間、手は癒され、神の御業が人々の前に示されました。

🪷やさしい解説

この出来事は、マタイ12章、マルコ3章、ルカ6章に記されています。
安息日にいやすことは、律法に反するのか――その問いの中で、イエスは静かに語られました。

「あなたがたのうちに、一匹の羊を持っている人がいて、それが穴に落ちたら、安息日でも引き上げるでしょう?
人は羊よりも、はるかにすぐれているではないか。安息日に良いことをするのは正しいのです」

イエスは、その人にただ「手を伸ばしなさい」とおっしゃいました。
そして彼の手は、もう片方の手のように回復したのです。

この癒しの行為は、神の慈しみが、形式を超えて人に届くことを示しています。
一人の痛みを見逃さず、まなざしを注がれる主の愛――それこそが「良いこと」なのです。


🎚️ 信仰のことば

「安息日に良いことをするのは、正しい。」(マタイ12:12)

形式を守ることにとらわれすぎず、愛を行うことを選ぶ――
この御言葉は、わたしたちの小さな日々の選択にも光を与えてくれます。


🖼 原画アイキャッチ情報

【代替テキスト】
イエスが安息日に会堂で、なえた手の人を癒す場面。周囲ではパリサイ人たちがイエスを訴えようと見張っており、癒された人は手を伸ばしている。

【キャプション】
安息日――人をいやすことは、律法を超えて神の愛をあらわすこと。
イエスは、片手のなえた人に「手を伸ばしなさい」と言われました。
その瞬間、手は癒され、神の御業が人々の前に示されました。

📌原画には、パブリックドメイン口語訳入っています。


🎨らけるまの創作メモ|「ためらわないイエス」を描こうとした日

この絵を描いたとき、心に浮かんだのは「迷わないイエス」の姿でした。
周囲には批判の目があっても、イエスのまなざしはひたすらに「苦しんでいる人」に向けられていました。
手を伸ばしなさい――その言葉には、勇気とやさしさが満ちていて、描きながら私も慰められました。


📝この記事のまとめ

  • 安息日は神の休息と恵みのしるしである
  • イエスは、形式よりも人への愛を優先された
  • 「良いこと」を行う姿勢は、信仰の本質に通じる
  • 原画には「見つめ、癒し、語る」イエスの姿が表現されている

🕊️ 結びの祈り

主よ、
あなたが迷わず、まっすぐに一人の人を癒されたことを思います。
私たちもまた、日々のなかで誰かの痛みに気づき、手を伸ばせる者であれますように。
律法や形式にとらわれず、愛をもって生きることができますように。
今、この記事を読んでくださった方の心にも、
あなたの平和といやしが静かに届きますように――
主イエス・キリストの御名によって、
アーメン。


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